堀直人

ウィキペディアから、無料の百科事典
堀 直人
名前
愛称 タマゴ[1]
カタカナ ホリ ナオト
ラテン文字 HORI Naoto
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1964-11-28) 1964年11月28日(59歳)
出身地 神奈川県
身長 183cm[2]
体重 73kg[2]
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
ユース
1980-1982 日本の旗 厚木高校
1983-1986 日本の旗 早稲田大学
クラブ1
年 クラブ 出場 (得点)
1987-1993 日本の旗 全日空/横浜フリューゲルス
代表歴
1988 日本の旗 日本B
1989 日本の旗 日本 0 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

堀 直人(ほり なおと、1964年11月24日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手。元サッカー日本代表[3]。現役時代のポジションはDF。実弟の堀孝史は元サッカー選手、指導者。

来歴

神奈川県立厚木高等学校、早稲田大学を経て、日本サッカーリーグ2部の全日空横浜クラブ(後の全日空クラブ)に加入。1987-88シーズンにJSL2部で優勝し、1部昇格直後の1988-89シーズンでは第1節の松下電器戦を含む全22試合に出場し1得点1アシストを記録[4]。その後、4シーズンの間にJSL1部通算82試合に出場し4得点5アシストを記録した[5]。

代表レベルでは1988年に日本B代表に選ばれインドネシアで開催されたマラハリム・カップに参加。決勝のPSMS戦を含む全5試合に出場し2得点を挙げて優勝に貢献した[6]。1989年に横山兼三の率いる日本代表に招集され、1990 FIFAワールドカップ・アジア1次予選の登録メンバーとなったが、試合出場の機会はなかった[3]。

1992年、全日空クラブがプロ化により横浜フリューゲルスへ移行した後もチームに在籍し、同年秋のJリーグカップでは5試合に出場[2]。翌1993年5月16日に行われたJリーグサントリーシリーズ第1節の清水エスパルス戦で、渡邉一平に代わり途中出場を果たし[7][8]、1993年シーズンにリーグ戦5試合に出場した後、同年限りで退団した[2]。

引退後は全日本空輸の社業に戻り、2012年時点では大連空港所長[9][10]、2019年時点では福島空港所長を務めている[11]。

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1987-88全日空JSL2部4000
1988-894JSL1部2212042283
1989-902212031272
1990-9116000
1991-9222210
1992横浜F-J-50
19935000
通算日本J 5050||||||||
日本JSL1部 82450||||||||
日本JSL2部 ||||4||0||0||0||||
総通算 ||||||||||||||

代表歴

脚注

  1. ↑ 1988年カルビー日本リーグカードのNo.46より
  2. 1 2 3 4 “堀 直人”. J.League Data Site. 2020年2月閲覧。
  3. 1 2 “代表TIMELINE FIFAワールドカップイタリア'90 アジア地区1次予選 [1989.05.22 ] 香港”. 日本サッカー協会. 2020年2月閲覧。
  4. ↑ 日本サッカーリーグ編『日本サッカーリーグ・イヤーブック 1989-90』日本サッカーリーグ、1991年、92頁。
  5. ↑ 「日本サッカーリーグ全史」編集委員会編『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993年、253頁。
  6. ↑ 「第16回マラハリム・カップに日本B、歓喜の優勝!」『サッカーマガジン』 1988年9月号、ベースボール・マガジン社、98頁。
  7. ↑ “’93Jリーグサントリーシリーズ 第1節第2日”. J.League Data Site. 2020年2月閲覧。
  8. ↑ “Jリーグ開幕から25年…記念すべき第1節を写真と動画で振り返る”. サッカーキング. 2020年2月閲覧。
  9. ↑ “前園真聖さんが日本人学校で夢語る JFAとANAの「ユメセン」で講師に”. Whenever大連ローカル. 大連漫歩広告有限公司 (2012年11月15日). 2020年2月閲覧。
  10. ↑ “人事、全日本空輸(2)”. 日本経済新聞 (2012年3月26日). 2020年2月閲覧。
  11. ↑ “【人事】全日本空輸(2019年4月1日)”. 異動ニュース. 日本新聞協会. 2020年2月閲覧。

関連項目

外部リンク