堀直重
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堀直重像(須坂市博物館蔵) | |
| 時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代初期 |
| 生誕 | 天正12年(1584年) |
| 死没 | 元和2年6月13日(1616年7月26日)[1][注釈 1] |
| 戒名 | 自光院殿前淡州大守籌山宗勝大居士 |
| 墓所 | 千葉県香取市の新福寺 |
| 官位 | 従五位下、淡路守 |
| 主君 | 豊臣秀吉→秀頼→徳川家康→秀忠 |
| 藩 | 信濃須坂藩主 |
| 氏族 | 堀氏 |
| 父母 | 父:堀直政、母:不詳 |
| 兄弟 | 直清、直倶、直寄、直之、直重、直里、直忠 |
| 妻 | 正室:堀秀重の娘 |
| 子 | 直升、直昭、直久、直房 |
堀 直重(ほり なおしげ) は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。信濃須坂藩の初代藩主。信濃須坂堀家初代。堀直政の四男。兄に直清、直寄、直之。
生涯
天正12年(1584年)、堀氏の家臣・堀直政の四男(または五男)として誕生。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで東軍に与して軍功を挙げたことにより、下総矢作に2000石と信濃須坂に6000石の所領を与えられた。慶長19年(1614年)からの大坂の陣でも徳川方として参戦し、功績を挙げて高井郡内に4000石加増された。この加増年に関しては、元和元年(1615年)説と元和2年(1616年)説[4][5]がある。信濃国須坂に立藩し、最終的に1万2000石の所領を領した。
元和2年(1616年)に33歳で死去。その跡は長男・直升が継いだ。千葉県香取市新福寺に直重の石塔があるが、元和期前半の様相を備えた各部完存のものであり、死後まもなく一年忌ないし三年忌に建てられたものと推測される[6]。
系譜
父母
- 堀直政(父)
正室
- 堀秀重の娘
子女
脚注
注釈
出典
参考文献
- 「寛政重修諸家譜 巻第767」
- 須坂市立博物館 編『須坂藩主堀家史料集』1978年。
- 広瀬紀子『改訂 須坂藩主堀家の歴史』長野郷土史研究会、1988年。
- 山岸信之「須坂藩初代藩主堀直重の死因と宗勝寺」『須高』40号、1995年。