大多喜病院
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| 情報 | |
| 正式名称 | 医療法人社団法人白百合会大多喜病院 |
| 標榜診療科 |
精神科 内科 神経科 耳鼻咽喉科 リハビリテーション科 |
| 許可病床数 |
363床 一般病床:0床 精神病床:305床 感染症病床:0床 結核病床:0床 療養病床:58床 |
| 開設者 | 医療法人社団法人白百合会 |
| 管理者 | 鶴岡義明 |
| 開設年月日 | 1946年(昭和21年)10月 |
| 所在地 |
〒283-0062 |
| 位置 | 北緯35度16分33.1秒 東経140度14分30.8秒 / 北緯35.275861度 東経140.241889度 |
| 二次医療圏 | 夷隅長生 |
| 特記事項 | 精神科措置入院指定病院 |
| PJ 医療機関 | |
概要[1]
精神科を中心に神経科、内科、耳鼻科、リハビリテーション科を有し、精神科病床数305 床(指定病床数 5床)とその他の病床58床を備える療養型病床群併設病院。千葉県のほぼ中央にあたる大多喜町の山あいの静寂な環境に位置し、従来からの精神医療に加え、少子高齢化に対応した高齢者医療に力を入れ、高齢者の社会復帰を目指している[2]。
その他、精神科作業療法、精神科デイケア、精神科ショートケア、共同生活援助(グループホーム)などの施設を備え、訪問看護、通所リハビリ、居宅介護支援などの介護保険関係事業も行っている。
2011年12月には病院併設型の介護老人保健施設「しらゆり」をオープンした。
沿革
- 1939年(昭和14年)3月 - 大多喜町船子122に「鶴岡医院」が開設される[3]。
- 1954年(昭和29年)8月 - 医療法人白百合会が設立され、理事長に鶴岡保徳が就任[3]。
- 1956年(昭和31年)3月 - 医療法人白百合会「大多喜病院」が開院(54床)[3]。
- 1962年(昭和37年)3月 - 火災により施設が焼失(負傷者なし)[3]。
- 1962年(昭和37年)7月 - 第一病棟が竣工(現・ホール棟)[3]。
- 1966年(昭和41年)5月 - 第二病棟が竣工(現・作業療法室)[3]。
- 1967年(昭和42年)
- 1975年(昭和50年)3月 - 理事長に鶴岡孝人が就任[3]。
- 1979年(昭和54年)1月 - 職員寮が竣工(現・グループホーム)[3]。
- 1980年(昭和55年)6月 - 第五病棟が竣工(のちに解体)[3]。
- 1983年(昭和58年)3月 - 新第一・第二病棟が竣工(現・C病棟、精神科デイケア)[3]。
- 1994年(平成6年)7月 - 精神科作業療法施設が認可される[3]。
- 1996年(平成8年)3月 - 理学療法II施設が認可される[3]。
- 1996年(平成8年)5月 - 第六病棟が竣工(現・介護棟、理学療法室、通所リハビリテーション)[3]。
- 2001年(平成13年)5月 - A病棟が竣工[3]。
- 2003年(平成15年)5月 - 精神科デイケア施設が認可される[3]。
- 2011年(平成23年)1月 - B病棟、介護老人保健施設しらゆりが竣工[3]。
- 2012年(平成24年)7月 - 理事長に鶴岡義明が就任[3]。
基本理念
- いすみ地域で一番の医療介護サービスを目指す。
- 標準語で話す。
としている[4]。
施設[1]
- 精神一般病棟
- 精神療養病棟
施設基準[1]
- 精神科作業療法
- 精神科デイ・ケア
- 精神科ショート・ケア
障害者総合支援法関連[1]
- 共同生活援助(グループホーム)
- 居宅介護(ホームヘルプ)
- 移動支援事業
- 相談支援事業
- 地域活動支援センター
介護保険関連[1]
- 介護老人福祉施設(特養)
- 介護老人保健施設
- 通所リハビリテーション
診療[1]
- 午前:月~土 9:00 - 12:00(初診受付は11:00、再診は11:45まで)
- 午後:月~土 休診
- 日・祝 休診
所在地[1]
関連施設[6]
つげ作品のモデル
- 漫画家つげ義春の代表的な作品『西部田村事件』(1967年(昭和42年)12月)の中に描かれた 夷隅川沿いの小さな療養所(西部田療養所)のモデルとなった。白土三平と大多喜町へ釣り旅行に訪れた際、夷隅川沿いに位置する当病院を目にしたことが、インスピレーションとなった。作品では地名などが実名で書かれ、精神病院の脱走患者とそれを探し出そうと大騒ぎをする村民や消防団員の姿が、長閑な西部田村の風景の中にユーモラスに描かれている。ストーリーはつげの全くの創作である。現在でもつげ義春ファンの間では同作の聖地(ゆかりの地)として知られている[7]。