大手前 | |
|---|---|
|
大阪府庁舎 | |
| 北緯34度41分15.6秒 東経135度31分5.1秒 / 北緯34.687667度 東経135.518083度 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
|
| 市町村 |
|
| 区 | 中央区 |
| 面積 | |
| • 合計 | 0.335326744 km2 |
| 人口 | |
| • 合計 | 174人 |
| • 密度 | 520人/km2 |
| 等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
| 郵便番号 |
540-0008[3] |
| 市外局番 | 06(大阪MA)[4] |
| ナンバープレート | なにわ |

大坂城の西に位置し、大阪府庁、大阪府警察本部、各省庁の出先機関が入居する合同庁舎などが立ち並んでいる。
江戸時代には、大坂城の正面虎口である追手口(大手口)は大坂城代が警護に当たり、現在大手前となっている町域には大坂城代下屋敷、京橋口定番上屋敷、大坂東町奉行所などが置かれていた。明治に入ると兵部省(のち陸軍省)の所管となり、大阪陸軍病院などが建てられた。
1879年の郡区町村編制法施行の際に、東区の町名として大手前之町の町名が誕生した。ただし、大手前之町は現在の大手前より町域が狭く、現在の大手前1丁目のうち京街道沿いは京橋前之町と京橋1丁目、上町筋以東は馬場町の一部で、大手前4丁目は全域が法円坂町の一部であった。
大正後期まで大手前之町は陸軍の施設で占められていたが、南隣の法円坂町へ移転した輜重兵営跡地へ、1923年に大阪府立大手前高等女学校が梅田から、1926年に大阪府庁が江之子島から移転した。敗戦後は府庁の別館などが建ち、1958年には中部憲兵隊司令部跡地に大阪府警察本部が城内から移転した。
1989年の東区と南区の合区の際に、中央区の町名として現行住居表示が実施された。
大坂城追手口(大手口)の前であることに由来する。
2019年(平成31年)3月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
| 丁目 | 世帯数 | 人口 |
|---|---|---|
| 大手前一丁目 | 121世帯 | 174人 |
| 大手前二丁目〜四丁目 | 0世帯 | 0人 |
| 計 | 121世帯 | 174人 |
国勢調査による人口の推移。
| 1995年(平成7年) | 163人 | [5] | |
| 2000年(平成12年) | 97人 | [6] | |
| 2005年(平成17年) | 189人 | [7] | |
| 2010年(平成22年) | 197人 | [8] | |
| 2015年(平成27年) | 185人 | [9] |
国勢調査による世帯数の推移。
| 1995年(平成7年) | 105世帯 | [5] | |
| 2000年(平成12年) | 64世帯 | [6] | |
| 2005年(平成17年) | 136世帯 | [7] | |
| 2010年(平成22年) | 129世帯 | [8] | |
| 2015年(平成27年) | 122世帯 | [9] |
2016年(平成28年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[10]。
| 丁目 | 事業所数 | 従業員数 |
|---|---|---|
| 大手前一丁目 | 314事業所 | 7,594人 |
| 大手前二丁目 | 33事業所 | 679人 |
| 大手前三丁目 | 27事業所 | 287人 |
| 大手前四丁目 | 27事業所 | 965人 |
| 計 | 401事業所 | 9,525人 |
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