大盛寺

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大盛寺
所在地 東京都三鷹市井の頭4丁目26-1
位置 北緯35度41分56秒 東経139度34分28秒 / 北緯35.69889度 東経139.57444度 / 35.69889; 139.57444座標: 北緯35度41分56秒 東経139度34分28秒 / 北緯35.69889度 東経139.57444度 / 35.69889; 139.57444
山号 明静山
宗旨 天台宗[1]
本尊 薬師如来[1]
創建年 不詳[2]
開山 辨泉[1]
正式名 明静山 圓光院 大盛寺
別称 井の頭辨才天
法人番号 9012405001654 ウィキデータを編集
大盛寺の位置(東京都内)
大盛寺
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大盛寺(だいせいじ)は、東京都三鷹市井の頭にある天台宗の寺院。山号は明静山。院号は円光院。本尊は薬師如来。都立井の頭恩賜公園内・井の頭池にある井の頭弁財天の本坊でもある。

歴史

井の頭弁財天
黒い参門と道標
歌川広重『名所雪月花』で描かれた雪景の井の頭弁財天

大盛寺の創建の詳細については不詳であるが、1652年(承応元年)に寺院となったと伝えられる[3]。

井の頭弁財天

井の頭弁財天堂は、『井之頭略縁起』によれば平安時代の天慶年間(938年-947年)源経基が創建したものと伝えられ、その後源頼朝が1197年(建久8年)に再建し、別当となる坊舎が立てられたと伝えられる[4]。1333年(元弘3年)新田義貞が鎌倉を攻めた際に焼失し衰退していたが、江戸時代に入り3代将軍徳川家光によってようやく再興されたという。1923年(大正12年)の関東大震災で被害を受け、現在の堂舎は昭和初期に再建されたものである[4]。 縁起によれば、本尊の弁財天像は789年(延暦8年)[5]平安時代の僧で最澄の作と伝えられている[6]。

甲州街道を高井戸から分け入り久我山・牟礼村を経て参道に至る道筋には、要所要所「井のかしら弁天道」などの道標が建てられている。特に参道入り口・黒い参門の横にある1745年(延享2年)の「神田御用水源井頭弁財天」と刻まれた棹石は長さ2.4mと堂々としたものである[7]。

弁天堂の周囲には、宇賀神像(年代不詳)[6]、1771年(明和8年)の狛犬、手水鉢、1817年(文化14年)の石橋(一番組・湯屋講寄進)、1833年(天保4年)石燈篭(伊勢屋伊兵衛=現・にんべんら寄進)[8]、など多くの寄進物が見られ、弁天信仰が盛んであったことを感じられる[9]。

七井不動尊

弁天堂の正面から左手奥へ進んだところに、七井不動尊の小さなお堂がある。

所在地

  • 大盛寺
    • 東京都三鷹市井の頭4-26-1
  • 大盛寺別院(墓地)

脚注

参考文献

  • 柳公子、赤木穆堂・松岡六郎『井の頭史跡散歩 : 付・やさしい三鷹・武蔵野市の歴史』武蔵野郷土史刊行会、武蔵野(東京)、1979年5月。 NCID BA33073921。 
  • 坂本正仁、ほか『多摩のお寺めぐり』雄山閣出版、1993年、80-81頁。ISBN 4639011806。 NCID BN10373225。 
  • 安田知代『井の頭公園まるごとガイドブック』ぶんしん出版、三鷹、2008年5月。ISBN 9784893901026。 

関連項目

外部リンク