天狐面、葛飾北斎『北斎漫画』。能狂言あるいは神楽に用いられる面。

天狐(てんこ)は、中国および日本に伝わる神獣または妖獣。狐が霊力を得たものであると考えられている。

概要

中国の『玄中記(中国語版)』[注 1]には、狐が1000年の年をへて天に通じると天狐というものになる(「千歳即与天通為天狐」)と記されている。同書には50歳で変化の術を会得し、100歳で美女となり、これ善く蠱惑する、と狐について語られているが[2]、『五雑俎』には1000歳を過ぎると天に通じて人を魅(ばか)すことはなくなる(「狐千歳始与天通。不為魅矣」)とも書かれている。ただし、『五雑俎』のいう1000歳を過ぎ天に通じた狐というものは、1000年のあいだ美女などに変じ人間たちから精気を吸い取った結果(「取人精気以成内丹」)存在している[3][4]。

「天狐」に為るということは修練により「天仙」になった、つまり肉体を持たぬ精霊となったことと解釈される{{Refn|善庵随筆 ""精神のみ存在して形はなし"[5][1]。齢1000年の天狐は、千里以上遠くの出来事も察知できるようになる(『玄中記』)とも[2]、天狐は九尾金色、日月宮に仕え、「符有り醮有る」よって「陰陽に洞達」する、すなわち(天文によって)自然の摂理に精通する、説かれる(『酉陽雑俎』など)[7][9]。

密教では、三類形(さんるいぎょう)と称して、天狐・地狐・人形(人狐〈にんこ〉とも)という3つを使用する修法・まじないが説かれており、そこにも天狐の名称が見られる。狐という字が使用されているが、鳥(天)・獣(地)・人(人)の画像が使用される。天狐の鳥の絵は鵄(トビ)、地狐の獣の絵は野干(やかん=狐)であると『秘蔵金宝抄』(12世紀)やなどに記されているが、13世紀ころには『実帰抄』、『白宝抄』などでこの三類形に描かれる天狐・地狐・人形そのものが「三毒」のしるしであり災い・障礙神を示すものであると説かれるようにもなった[10]。ここでの天狐は狐の要素はほとんど希薄になっている。

江戸時代の日本では、天狐は狐たちの間の最上位にあたる存在の呼称であるとされ、江戸時代末期の随筆『善庵随筆』や『北窓瑣談』には、皆川淇園『有斐斎箚記』に収められた当時の宗教者が語った天狐・空狐・気狐・野狐の順の狐の階級が収録されている。これらの狐の階級において最上位であるとされる天狐は、ほとんど神のような存在であり、千里の先の事を見通す、野狐、気狐のように悪さをすることはない等と語られている[11][12]。

辰狐と天狐

13世紀以後、日本で深まっていった荼枳尼(ダキニ)に対しての信仰などで使われていった「辰狐」(しんこ)という狐に対する名称・尊称について、中村禎里は「辰」の字には龍神・天体(星辰)の意味合いが含められており、三類形を通じて悪のイメージが付いていった「天狐」という言葉を避けた結果、「辰狐」という言葉が使われ始めたのではないかと考察している。狐と荼枳尼・稲荷神との習合は、室町・江戸時代以降の神獣としての狐や辰狐・天狐のイメージに大きく影響を与えている[13]。

天狗と天狐

朝川善庵『善庵随筆』には、『日本書紀』で舒明天皇9年(637年)の大流星のことを「天狗」と書いて「あまつきつね」と読んでいることから、天狐を天狗と同一のものとするという説が述べられている[11]。

郷土芸能

里神楽には「天狐」や「天津国津狐」など、曲名あるいは登場する狐の役に天狐の名称を用いる曲目がある。内容は人々に対して狐が作物・穀物の種のまき方や耕作を伝授する様子などが舞われる[14]。

神楽のなかで天狐は密教・道教的な天狐というより、農耕神や稲荷の要素が強く、狐全般の美称として用いられている。

民間伝承

長崎県の小値賀島では霊怪のひとつに「テンコー」というものがあり、この呼称は天狐・地狐に由来している。これに憑かれた者には占いで何でも言い当てるなどの神通力が備わるという[15]。

注釈

  1. ↑ 原書は郭璞撰。清代に『元中記』と改題されて刊行されている。

脚注

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  1. 1 2 坂井田 (1996), p. 1325.
  2. 1 2 『玄中記/元中記』: "狐五十歲能變化為婦人;百歲為美女、為神巫,或為丈夫,與女人交接,能知千里外事,善蠱惑,使人迷惑失智;千歲即與天通,為天狐"[1]。
  3. ↑ 日野巌『動物妖怪譚』有明書房、1979年、280頁
  4. ↑ 笹間良彦『怪異・きつね百物語』雄山閣、1998年、7-8頁 ISBN 4-639-01544-5
  5. ↑ 朝川善庵 著「善庵随筆:此方に天狗といへるもの」、[[今泉定助 |今泉定介〔ママ〕]]、畠山健 編『百家説林』 3巻、吉川半七、1891年、671頁。 欄分割なしの版@ ndl
  6. ↑ 門脇 (1912), pp. 3–4.
  7. ↑ 『酉陽雑俎』巻14諸皐記下[6]。
  8. ↑ Mayers, William Frederick (1924). The Chinese Reader's Manual. Shanghai: The Presbyterian mission press. p. 65
  9. ↑ 『白氏六帖』に類文あり、Mayerが"serves in the halls of the sun and the moon and is versed in all the secrets of nature"と訳す[8]。
  10. ↑ 中村禎里『狐の日本史 古代・中世びとの祈りと呪術』戎光祥出版、2017年、51-61頁 ISBN 978-4-86403-248-3(旧版『狐の日本史 古代・中世編』日本エディタースクール出版部、2001年)
  11. 1 2 笹間良彦『図説・日本未確認生物事典』柏書房、1994年、110頁。ISBN 978-4-7601-1299-9。
  12. ↑ 多田克己 編『竹原春泉 絵本百物語 -桃山人夜話-』国書刊行会、1997年、159頁。ISBN 978-4-336-03948-4。
  13. ↑ 『狐の日本史 古代・中世びとの祈りと呪術』126-138頁
  14. ↑ 『鷲宮催馬楽神楽』埼玉県鷲宮町教育委員会、1994年、21頁
  15. ↑ 村上健司編著『妖怪事典』毎日新聞社、2000年、234頁。ISBN 978-4-620-31428-0。

参照文献

関連項目

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