奥平昌猷

ウィキペディアから、無料の百科事典
 
奥平昌猷
奥平昌猷像(自性寺蔵)
時代 江戸時代後期
生誕 文化10年3月25日(1813年4月25日)
死没 天保13年9月17日(1842年10月20日)
改名 勇吉・九八郎(幼名)、昌猷
戒名 潜竜院殿大淵道珍大居士
墓所 大分県中津市新魚町の自性寺
官位 従四位下大膳大夫
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉、家慶
藩 豊前中津藩主
氏族 奥平氏
父母 奥平昌高、奥平昌暢
兄弟 軽姫、富之進、昌暢、得之助、圭太郎、
昌猷、加藤泰理室、永井尚典室、
生駒親愛、鉄姫、成瀬正住室、
稲葉幾通室、池田慶政、金之助、
生駒親道、島津忠寛室、青木一咸、
牧野忠直、フチ、隼之丞、菅沼新八郎室、銈姫、内藤頼愛室、操姫、鍼姫
子 松平忠国正室、昌服
テンプレートを表示

奥平 昌猷(おくだいら まさみち)は、豊前国中津藩7代藩主。中津藩奥平家11代。

略歴

文化10年(1813年)3月25日、第5代藩主・奥平昌高の五男として中津で生まれる。天保3年(1832年)11月に兄で第6代藩主の昌暢が死去したため、天保4年(1833年)1月29日に養子として家督を継いだ。直後の11月に百姓一揆が起こるなどしている。

このため、天保6年(1835年)に黒沢庄右衛門を登用して藩政改革を行い、専売の強化を行うなどしている。天保9年(1838年)12月16日に従四位下・大膳大夫に叙位・任官する。天保12年(1841年)に家臣の半知借上を行った。

兄・昌暢と同じく父に先立って天保13年(1842年)9月17日に中津で死去した。享年30。跡を昌暢の遺児で養子の昌服が継いだ。

系譜