姫岡勤

ウィキペディアから、無料の百科事典

姫岡 勤(ひめおか つとむ、1907年11月14日 - 1970年10月19日)は、日本の社会学者・文化人類学者。

経歴

大阪生まれ。1933年京都帝国大学文学部哲学科社会学専攻卒。天理大学助教授、1949年京都大学教育学部教授。1962年、「封建的社会意識の社会学的考察」で、京都大学より文学博士の学位を取得[1]。

1970年1月から京都大学教育学部長を務めていたが、在任中の同年10月19日、心筋梗塞により京都市内の自宅にて死去[2]。

人物

  • 京都大学時代の弟子に竹内洋がいる[3]。
  • 安田三郎は、日本社会学会の学術誌『社会学研究』(1944年、第1号)に掲載された姫岡の研究論文「義理の観念とその社会的基礎」を「戦前戦後を通じて、義理の社会的研究として最も重要なものは、姫岡の大論文であろう。これは戦前の日本社会学の最高水準を行く研究であるといっても過言ではい」と評した[3][4]。

著書

共編著

翻訳

脚注

  1. ↑ “封建的社会意識の社会学的考察 姫岡勤”. 国立国会図書館. 2012年8月22日閲覧。
  2. ↑ 訃報欄『朝日新聞』1970年(昭和45年)10月19日夕刊 3版 11面
  3. 1 2 竹内洋『革新幻想の戦後史』中央公論新社、2011年。ISBN 9784120043000。 p.126
  4. ↑ 「義理について」『現代社会学』1号、1974年

参考

  • 『現代家族の社会学 成果と課題』編者紹介