学問
日本高等教育学会の論文によれば日本政府の分類で、学問は人文社会科学(人文科学と社会科学)、自然科学、その他、という3つに大別される[9]。国際的な教育統計であるユネスコの分類では、高等教育の「学問領域(discipline)」は「教育,人文科学・芸術,社会科学・ビジネス・法学,科学,工学・製造・建設,農学,健康・福祉」から成る[9]。
日本学術協力財団の論考によれば学問は、日本で文系・理系という二分法が強く、英語圏ではSTEM(科学、技術、工学、数学)・HSS(人文科学と社会科学)という二分法が時々使われる[10]。
類義語
[編集]学文・学門
[編集]古くは学問は「学文」・「学門」とも書かれた[11]。
学術
[編集]科学
[編集]「科学」は一般に哲学・宗教・芸術などとは区別されており[13]、狭義または一般の「科学」は自然科学を指す[13][14][15]。
技術知・学術・学芸
[編集]古代ギリシア哲学では、技術(テクネー)は学術・芸術・知識(エピステーメー)などをも意味し[16][17]、数学[18]や天文学[19]や学問全般が「テクネー」に含まれていた[20]。本質の、または真の理知(ロゴス)は技術に備わっているとされた[21]。アリストテレスの論では、技術も自然も本来的には美であり、善はそれを際立たせるとされていた[22]。
歴史
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古代エジプト
[編集]古代エジプトにおいては技術的知識や実用的知識の集合体があり、それは「マアト」と呼ばれていた。そうした学問の担い手は書記と呼ばれる、文字(ヒエログリフやヒエラティック)を操りパピルスに記述できる、全人口の1パーセント前後ほどしかいない特権的エリート階級で、彼らは古代エジプトにおける行政組織の一種である神殿や王宮に属していた。学問のために「生命の家」(Per Ankh)と呼ばれる施設(英語版)、具体的には写本室(パピルス文書を書き写すための部屋)、図書館、教育をするための部屋を兼ねた複合施設が主要な神殿(メンフィス、テーベ、ヘリオポリスなど)の境内に併設された。 古代エジプトの学問は具体的には次のような内容であった。
- 数学(計算術)─ ナイル川の氾濫のたびに土地を再測量して区画整理したり、ピラミッドなどの巨大建造物を造るために寸法や重量や必要な建材の計算をしたり、また食料関連の行政(食糧備蓄の配分管理など)のために計算術が発達した[23]。 エジプト数学を参照
- 天文・暦法 ─ ナイル川の氾濫時期を予測するために、シリウス星の観測に基づいた太陽暦が整備された。これは神殿での祭祀の日付を決定するうえで不可欠な知識だった。古代エジプトの天文学および古代エジプトの暦法を参照
- 医学 ─ 外傷の治療や骨折の処置、薬草を使った治療法(あるいは薬草と呪術を組み合わせた治療法)が発達した。『エドウィン・スミス・パピルス』のような医学文書には、診断から予後までが客観的かつ論理的に記述されている。古代エジプト医学を参照
著名な学者にイムホテプ(Imhotep)がいる。彼は第3王朝の王ジョセルの宰相であり、建築家として階段ピラミッドを設計し、また医師としても崇拝された。 古代エジプトの学問は、紀元前後にエジプトがローマ帝国の支配下に入りキリスト教化が進むにつれエジプトの神殿が衰退傾向に入るとともに物理的な機能を喪失してゆき、紀元2世紀から3世紀頃には組織的な教育の場が消滅したという。[24]
古代ギリシア
[編集]古代ギリシアでは、ソクラテス、プラトン、アリストテレスの3人、つまり師弟関係にある3世代におよぶ哲学者(学者)により、思索が徹底的に深められ、3代目のアリストテレスに至っては、倫理学、社会学、芸術学、論理学、自然学(自然哲学)など(現代でいう"文系の学問"から"理系の学問"を含む)壮大な学問体系を築いた。アリストテレスは学問を「理論学」(哲学・数学・自然学)「実践学」(倫理学・政治学)「創作学」(修辞学・詩学)へと分類し、現代のアカデミックな学問(ディシプリン)の原型が完成した。(それらの功績でアリストテレスは「万学の祖」と言われている)アリストテレスの学問が、中世アラブや中世ヨーロッパに伝わり、アラブや中世ヨーロッパの学問はその恩恵に浴することになった。
また古代ギリシアではピタゴラス、アルキメデス、エウクレイデスらによって数学の高度な探求が行われた。
ソクラテスは「プシュケーへの配慮」を重視し、人間にとって最も大切なのは、知性、理性、道徳的な判断をつかさどる中心部分であるプシューケー(精神、心、魂)を磨くことだ、と説いた。人間にとって大切なのは、物質的(金銭的)な損得を追求することではなく、良い生き方を追求することだ、と説いたのである。そして善や悪、正しさについての正しい知識(知)を得ることを重視した。そして教師として、弟子らに温かい眼差しを向けつつ、問答法を用い、会話形式で、弟子らに質問をして考えさせることを繰り返して、弟子たちのプシュケーを磨き、根本的なことを徹底的に考えさせた。
紀元前387年頃には、ソクラテスの弟子プラトンがアテネ郊外の林の中に対話と数学研究のための場(施設)としてアカデメイアを創設した。数百名の知識人が集ったという。紀元前335年頃には、プラトンの弟子アリストテレスがアテネ東部にリュケイオンを創設し、回廊(ペリパトス)で対話・議論しながら学問的研究をした。これは図書室、資料や生物標本の保管庫を完備した初の大規模研究所だったといい、アリストテレス自身の著作、弟子による研究記録、ギリシア諸都市の政治体制に関する調査資料(「158の憲法」として知られる)などが含まれていたという。アリストテレスは弟子たちを各都市(ポリス)に派遣し、それぞれの政体、歴史、習慣を調査させたという。これは「政治学」を観念的な空論にしてしまうのを避け、「どのような制度が安定し、どのような制度が崩壊するか」を実例に基づいて比較分析するための膨大な事例研究(ケーススタディ)だったという。ここには、アリストテレスから見て"先生の先生"にあたるソクラテスが説いた「善き生」の理念の実現のための努力が見られる。資料収集は「現実の人間社会の多様性」を把握するためのものであるが、理想的な国家を設計する際、現実の歴史と制度を徹底的に検証することで、論理の正当性を担保しようとしたらしい[25][26]。
アリストテレスは動物の研究(現代で言う生物学や動物学の研究)については、動物の標本、解剖図、各地から持ち込まれた動植物の観察記録などを収集していたという。アリストテレスは、動物研究については観察を重視しており、「証拠」を物理的に蓄積し、そこから帰納的な説明を構築し、『動物誌』を書いた。生物学#歴史も参照可能。人間や高等生物から下等生物までまとめて考察した"生命論"は『ペリ・プシュケース』で行った。
アリストテレスは紀元前322年に亡くなったが、その手稿は弟子らによって大切に保管され、写本がいくつも作成され、写本をさらに書き写すということが何度も行われた。(これのおかげで、後述するリュケイオン荒廃の後も、アリストテレスが構築した学問は生き延び、後世に伝わることになった) なお、古代ギリシアで学問(古代ギリシア語: φιλοσοφία フィロソフィア。意味は"知を愛すること")を担った人々は、原則、「市民」(ポライテス)に限定されていた。古代ギリシアは奴隷制があり、奴隷に肉体労働をさせることで労働から解放された市民が「余暇」(スコレ)を利用して行う知的活動だった。古代ギリシアの学問(フィロソフィア)は、ポリスという「市民が直接政治に参加する政治システム」の上に築かれていた。だが、紀元前146年にアカイア戦争(英語版) において、ギリシアのアカイア同盟はローマ軍に大敗し、中心都市であったコリントスはコリントスの戦いで完全に破壊・略奪され、これにより、ギリシアの主要な都市国家はローマの属州として支配下に置かれることとなり("属州のアカイア"になってしまい)、ギリシア独特の「ポリスの市民政治」は失われ、ギリシア的な学問の土台がゆらぎはじめた。さらに紀元前86年のスッラによるアテネ包囲戦(英語版)でアテネも破壊され、アリストテレスのリュケイオンの回廊(ペリパトス)などの建築物も物理的な損傷を受けたうえに、ローマ人は学問的成果まで略奪しようとしたらしく、リュケイオンに保存されていた手稿や資料類がローマへ持ち去られたことで、リュケイオンは研究機関としての機能を維持できなくなり、かくして古代ギリシアの学問は幕を閉じた。(一方、手稿や資料を持ち帰ったローマではロドスのアンドロニコスのような優れた学者による編集が生み出されることになったという。)
リュケイオンで研究され教えられていた学問の構成や内容は、おおむね、『アリストテレス全集』で知ることができる[要出典]。[注 1]
様々な分類法
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アリストテレスの分類法
[編集]古代ギリシャのアリストテレスは、学問体系を(1) テオリア(理論学)、(2) プラクシス(実践学)、(3) ポイエーシス(制作学)の3つに分類した。そして、それぞれ次のような学問が含まれる、とした。
ベーコンの分類法
[編集]近代科学・哲学の祖とされるフランシス・ベーコンは『学問の進歩』(The Advancement of Learning)において、人間の精神の諸能力(ファカルティ)を基準として学問を次の3つに分類した。
現代のアメリカの大学における分類
[編集]現代のアメリカの大学では次のような3分類がされることが一般的である。
- 自然科学(Natural Sciences)─ 物理学、化学、生物学など、物質や自然界を客観的に解明する分野
- 社会科学(Social Sciences)─ 経済学、社会学など、人間社会や人類集団の行動を研究する分野
- 人文学(HumanitiesあるいはArts and Humanities)─ 歴史学、考古学、文学、芸術学、文化学、コミュニケーション学、宗教学、言語学、哲学など[29]、人間の文化や言語を解釈・分析する分野
人文学(Humanities)
[編集]内容と場合によっては人文科学とも呼称する。上記の分類以外に、大学の文学部で行っている学問を指す解釈もある。
社会科学
[編集]下記の小分類の幾つかは、人文科学に含める場合も有る[要出典]。[注 2]
- 統治系
- 経済系
- 一般系
- 教育系
この分類以外に、大学の法学部、経済学部、教育学部などで行っている学問を指す解釈もある。
自然科学
[編集]形式科学
[編集]自然科学や社会科学との境界が曖昧なものもある。
応用科学
[編集]応用科学(実学、英:art、希:τεχνη)とは、基本的に、医学部、薬学部、歯学部、工学部、農学部で行っている学問を指すことが多いが、人文科学や社会科学の応用分野についても応用科学とされることもある。実学はその時代の文明や人間活動の役に立つと同時に、基礎科学分野にも影響を与え(例えばモルの研究は蒸気機関発明後になされている)、かつ後世にも多くの普遍的な知識・技術を与えるものである。
総合科学・学際分野
[編集]学際分野とは、複数の小分類の学問を組み合わせたり、目的別によるテーマ(例えば環境問題)ごとに複数分野の学問の観点からアプローチする新分野の学問のことである。また、このような学際分野が体系性を持った科学であることを強調するときに、「総合科学」の語が用いられることもある。
各大学では学際分野の学問を指向することもあり、総合科学のほかにも総合人間学などの多様な呼称があり、独自の名称で呼ばれていることもあり、世間への認知は広がりつつある段階である。また、学際的な大学の新組織も、各々の教員は、小分類の学会などでも活動を行っており、新学問を指向した教育研究組織のほとんどは、各教員が有する学位の専攻分野などは異なっている。
団体
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- アカデミー
- 国際学術会議 International Science Council(ISC) ─ 自然科学および社会科学の両分野を統合した唯一の非営利国際組織
- American Council of Learned Societies(ACLS) ─ 1919年に設立された、アメリカ合衆国の人文学、社会科学を含む学問の学術団体。多数の専門学会(現在は80超)が加盟する連合体。(自然科学系は含まない)。本拠地はアメリカ・ニューヨークにある。
- 全欧アカデミー連盟(All European Academies、ALLEA) ─ ヨーロッパの約40カ国から、60以上の科学・人文アカデミーが加盟している、ヨーロッパ最大のアカデミー連合の頂点に位置する組織。自然科学、社会科学および人文学を包括し、研究環境の向上や政策提言を行っている。
- アカデミア・エウロペア(Academia Europaea) ─ 1988年に設立された、ヨーロッパ全域を対象とする非政府の科学アカデミー。本部はドイツ・ミュンヘンに置き、イギリスロンドンに事務局、ヨーロッパ各地(バルセロナ、ベルゲン、ブカレストなど)にハブや事務所を置いている。人文学、文学、社会科学、自然科学など幅広い分野の一流学者を個人会員とする全欧的規模の卓越した学術アカデミーであり、厳しい審査・招待制をとっており、多くのノーベル賞受賞者も名を連ねる。名称のAcademia Europaeaは、意図的に、国境を超える学術語であるラテン語が選ばれており、「欧州アカデミー」という意味。
- European Academy of Sciences and Arts ─ 1990年にザルツブルクで設立された国際的な非政府組織(NGO)。科学、芸術、統治(ガバナンス)の分野の指導的リーダーや学者で構成されており、人文学や社会科学、芸術なども含めて欧州の課題に取り組んでいる。
- アジア学術会議 ─ 2000年に日本学術会議(下で解説)の提唱により設立され、第1回総会は2001年に行われた。アジア地域の科学アカデミーや政府系学術機関が加盟。自然科学、工学、人文科学、社会科学 の団体を含む。活動目的は、アジア諸国の科学者による共同研究の推進や、毎年持ち回りで開催される国際シンポジウム・総会を通じて地域的・国際的課題の協議を行うこと。
- 日本学術会議 ─ 1949年に設立された、人文学、社会科学、自然科学まで全分野を含む、日本のアカデミー。日本の学者・科学者の代表的な機関。日本政府への政策提言、科学の普及・国際学術交流を行っている。会員数は210人で、約2,000人の連携会員が協力。
- 社会科学研究ネットワーク - 機関リポジトリのプレプリント。社会科学、人文科学、生命科学、健康科学などの学術研究における迅速な普及に専念する目的で金融経済学者のマイケル・ジェンセンとウェイン・マー(Wayne Marr)により設立された。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ↑ 邦訳版も出版されており、旧版は17巻構成の計画で総計 9千〜1万ページ弱だったが、計画は途中で停止した。2013年より刊行開始した『新版 アリストテレス全集』は最新の研究成果を反映し訳文や注釈が充実したものであり、2020年代現在はまだ刊行の途上である。つまり日本語版は現状、どちらも不完全である[要出典]。英語版では The Complete Works of Aristotle: The Revised Oxford Translation(通称:オックスフォード版)が1984年にプリンストン大学出版局から刊行され、2020年代の現在、英語圏における最も標準的なアリストテレス全集とされている。こちらはアリストテレスの"主要著作"の英訳を提供することが主目的なので、注釈はほぼ 削ぎ落としてあり[要出典]、総計で2,487ページで、印刷版は上下2巻構成。デジタル版は1巻構成。
- ↑ 大学院などで学んだことがなく、学問に関する知識が無く、雑でデタラメな分類法をする人は社会科学全体を人文科学に含めてしまうことがある[要出典]。
出典
[編集]- 1 2 3 4 5 6 「研究社 新和英中辞典での「学問」の英訳」
- 1 2 広辞苑第六版「学問」
- 1 2 『デジタル大辞泉』「学問」
- ↑ 『デジタル大辞泉』「学術」
- ↑ 吉川 & 堀井 2003, p. i.
- ↑ 佐藤 2018, p. 45.
- ↑ 石井 2009, p. 99.
- ↑ 日本学術会議第3常置委員会 1994, p. 365.
- 1 2 大場 2000, p. 82.
- ↑ 隠岐 2019, p. 72.
- ↑ 新村 2018, p. 526.
- ↑ 『精選版 日本国語大辞典』「学術」
- 1 2 『デジタル大辞泉』「科学」
- ↑ “『世界大百科事典 第2版』「かがく【科学 science】」”. Kotobank. 2022年6月5日閲覧。 “「かがく【科学 science】」 科学とは今日通常は自然科学を指す。人文科学,社会科学という呼び方もある。”
- ↑ “『英辞郎』「science」”. 英辞郎 on the WEB. 2022年6月5日閲覧。 “「science」 1.〔自然現象を研究する〕自然科学 2. 〔特定の学問分野の〕科学”
- ↑ 山崎 2021, p. 技術.
- ↑ 加藤 2021, p. ギリシア哲学/用語.
- ↑ プラトン 2022, p. 31.
- ↑ プラトン 2022, p. 34.
- ↑ アリストテレス 2016, p. 52.
- ↑ 樋笠 2021, p. テクネー.
- ↑ アリストテレス 2015, p. 73.
- ↑ Bynum, W. (2012). The History of Science: A Very Short Introduction. Oxford University Press(オックスフォード大学出版会). ISBN 978-0199583768
- ↑ Wilkinson, R. H. (2003). The Complete Temples of Ancient Egypt. Thames & Hudson. pp. 112-115. ISBN 978-0500051009
- ↑ Jonathan Barnes編 (1995). Cambridge University Press. ISBN 978-0521422949
- ↑ Christopher Rowe & Malcolm Schofield編 (2000). The Cambridge History of Greek and Roman Political Thought. Cambridge University Press. ISBN 978-0521616690
- ↑ “Aristotle”. Stanford Encyclopedia of Philosophy. 2026年8月22日閲覧。
- ↑ “Theoria, praxis, poiesis: A continuum scheme”. 2026年8月22日閲覧。
- ↑ “The Definition of the “Humanities” for Purposes of the Humanities Indicators”. 2026年8月22日閲覧。
参考文献
[編集]- アリストテレス 著、渡辺邦夫・立花幸司 訳『ニコマコス倫理学』 上巻(初版第1刷)、光文社、2015年12月20日。ISBN 978-4334753221。
- アリストテレス 著、渡辺邦夫・立花幸司 訳『ニコマコス倫理学』 下巻(初版第1刷)、光文社、2016年1月20日。ISBN 978-4334753245。
- 石井, 紫郎「日本学術会議に期待するもの」『学術の動向』第14巻第6号、日本学術協力財団、2009年6月、98-111頁、CRID 1390282680006212480、doi:10.5363/tits.14.6_98、ISSN 1342-3363。
- 大場, 淳「人文社会科学の研究環境とその評価」『高等教育研究』第3巻第0号、日本高等教育学会、2000年、81-105頁、CRID 1390845713066258048、doi:10.32116/jaher.3.0_81、ISSN 1344-0063。
- 加藤, 信朗「ギリシア哲学/用語」『日本大百科全書(ニッポニカ)』コトバンク、2021年。2021年7月2日閲覧。
- 隠岐, さや香「日本における文系・理系の分断?━━歴史的視野から振り返る」『学術の動向』第24巻第8号、日本学術協力財団、2019年、72-77頁、doi:10.5363/tits.24.8_72、ISSN 1342-3363。
- 佐藤, 敦「第3章「趣味」を楽しむ場の形成と公共人類学 : 岩手県花巻市石鳥谷町における音楽を通じた実践からの考察」『千葉大学大学院人文公共学府研究プロジェクト報告書』第332巻、千葉大学大学院人文公共学府、2018年2月28日、43-58頁、CRID 1050570022167074304、ISSN 1881-7165。
- 新村, 出『広辞苑』(第七版)岩波書店、2018年1月12日。ISBN 978-4000801317。
- 日本学術会議第3常置委員会『日本の学術研究教育の課題:国際化・学際化・開かれた大学』(PDF)(レポート)委員長:澤登俊雄、日本学術会議、1994年3月25日、362–371頁。オリジナルの2025年12月17日時点におけるアーカイブ。2026年9月5日閲覧。
- 樋笠, 勝士「テクネー」『日本大百科全書(ニッポニカ)』コトバンク、2021年。2021年7月2日閲覧。
- プラトン 著、中澤務 訳『ゴルギアス』(初版第1刷)光文社、2022年5月20日。ISBN 978-4334754624。
- 山崎, 俊雄「技術」『日本大百科全書(ニッポニカ)』コトバンク、2021年。2021年7月2日閲覧。
- 吉川, 弘之、堀井, 秀之「インタビュー「科学と社会技術の未来」」『社会技術研究論文集』第1巻、社会技術研究会、2003年10月、i-viii、doi:10.3392/sociotechnica.1.i、ISSN 1349-0184。