安威孫作

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安威 孫作
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 不明
主君 豊臣秀吉
氏族 安威氏
父母 安威摂津守[1]
兄弟 孫作、八左衛門[1][注釈 1]
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安威 孫作(あい まごさく)は、安土桃山時代の武士。豊臣秀吉の馬廻[2]。

経歴

天正18年(1590年)1月17日興福寺の釈迦院寛尊らが年賀のために大坂に参じた際、秀吉以下の関係者らに礼物を送った。この際、取次の安威摂津守は留守だったため、子の孫作が代役を務め、銭50疋が贈られた。同年1月22日寛尊が年賀のために大坂城に参じた際は、孫作が取次役となった[3]。

文禄元年(1592年)3月20日秀吉の朝鮮出兵に際して肥前国名護屋の御詰衆が定められると、孫作は杉原伯耆守・早川源三・石川仙・長束藤三・別所孫三郎・木下半介・徳法軒道茂・白井善五郎と共に一番手に属した[2][4]。

慶長元年(1596年)4月27日秀吉が伏見屋敷に滞在する長宗我部元親の元を訪れた際は、相判衆の伊達政宗の配膳を務めた[5]。

脚注

注釈

  1. ↑ 孫作と八左衛門は同一人物説があり、また、どちらが兄・弟かは不詳である。

出典

  1. 1 2 北川央 監修・柏木輝久 編『大坂の陣 豊臣方人物事典』(宮帯出版社、2016年)
  2. 1 2 阿部猛・西村圭子編『戦国人名事典』(新人物往来社、1987年)
  3. ↑ 『蓮成院記録』
  4. ↑ 『高橋義彦氏所蔵文書』
  5. ↑ 『南路志』