宝塔院

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宝塔院
所在地 新潟県三条市東裏館1丁目6-5
位置 北緯37度37分58.6秒 東経138度57分32.5秒 / 北緯37.632944度 東経138.959028度 / 37.632944; 138.959028座標: 北緯37度37分58.6秒 東経138度57分32.5秒 / 北緯37.632944度 東経138.959028度 / 37.632944; 138.959028
山号 多宝山
宗派 真言宗智山派
本尊 釈迦如来
創建年 不明
開山 大治元年(1126年)
開基 宝塔院殿普門妙泉禅定尼
正式名 多宝山 宝塔院 妙泉寺
札所等 越後三十三観音霊場第32番
文化財 地震亡霊塔(市指定史跡、自然災害伝承碑)
法人番号 7110005005720 ウィキデータを編集
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宝塔院(ほうとういん)は新潟県三条市東裏館1丁目に所在する真言宗智山派[1]の寺院。山号は多宝山[2]。本尊は釈迦如来[1]。越後三十三観音霊場第32番札所[2]。正式名称は多宝山 宝塔院 妙泉寺[1]。

概要

境内には本堂と観音堂がある。観音堂の本尊は観世菩薩。

毎年8月10日には「観音大祭」が行われる[3]。

歴史

大治元年(1126年)に法印性鑁(せいばん)法師により開山された[4]。

建武、延元の頃の三条城主、三条左衛門定明の祈願所として栄え、その奥方千坂姫の菩提所ともなっている[1][2]。

文政11年(1828年)に三条地震が起こり、翌年の文政12年(1829年)、11世住職隆観と弟子法印覚明によって、犠牲者供養のために地震亡霊塔が建立される[2]。

明治13年(1880年)5月21日、糸屋万平火事で本堂と庫裏が焼失[1][5]。

地震亡霊塔

宝塔院の境内に建つ地震亡霊塔。その手前に「良寛さんの三条地震見舞文碑」もある。
地震亡霊塔。三条地震(1828年12月18日)の慰霊塔。
石碑の文面を写真に収めたもの。文字起こしは本文内の引用文を参照してください。
地震亡霊塔の前にある、「良寛さんの三条地震見舞文碑」の碑文。

文政11年(1828年)12月18日(旧暦11月12日)午前8時頃に三条地震が発生し、現在の三条市域では全半壊家屋3160軒余り、焼失家屋900軒余り、死傷者1040名の被害に見舞われた[6]。この翌年文政12年(1829年)に11世住職隆観と弟子法印覚明によって、犠牲者供養のために地震亡霊塔という五輪塔が建立された[2]。

昭和47年(1972年)に市指定文化財、平成17年(2005年)5月13日に三条市指定史跡、令和4年(2022年)3月29日に自然災害伝承碑に登録されている[3]。

また、29世住職隆全が良寛と親交があり[4]、良寛が隆全へ送った書簡が地震亡霊塔の前に三条地震見舞文碑として残されている。以下は、その碑文の元となった書簡(木村家所蔵)の文字起こしと釈文である。

此度三條能大変
承信耳恐入候
御尊體如何被遊候や
寶塔院御住寺如何
被遊候や 三浦屋
如何成候や もし
命有候はゝ宜之く
御傳言御懶上申候
其他一一筆紙ニ
難盡候 此方大ニ
以堂み候へ東も野僧
可草庵ハ無事ニ
御座候 御心安くお保し
めし被下度候
 早々 頓首
 霜月廿一日
寶塔院御隠居様 良寛

— 良寛、良寛維宝堂 (2005)、188頁による文字起こし。
此度三條の大変、承信に恐入候。御尊体如何被遊候や。宝塔院御住寺、如何被遊候や。三浦屋如何成候や。もし命有候はゞ、宜しく御伝言御懶上申候。其他一一筆紙に難尽候。此方大にいたみ候へども、野僧が草庵は無事に御座候。御心安くおぼしめし被下度候。早々 頓首 霜月廿一日 宝塔院御隠居様 良寛 — 良寛、良寛維宝堂 (2005)、238頁による釈文。

宝塔院幼稚園

左に和風の離れ、右に白い園舎があり、写真外の右手に宝塔院の本堂がある。手前には小さなプール、滑り台などの遊具がある。
宝塔院幼稚園の園舎。

当寺には私立幼稚園、宝塔院幼稚園が併設されている[7]。三条市では幼稚園の閉園と認定こども園への移行が進み、2025年現在、当園が三条市内に唯一残る幼稚園となっている。

当園は昭和30年(1955年)、36世住職[4]桑原良修によって開園された[8]。

交通

脚注

  1. 1 2 3 4 5 三条市史編修委員会 編「第五章 三条の神社と寺院 南蒲原郡寺院明細帳(抄)」『三条市史』 資料編 第5巻(近現代 1)、三条市、1978年3月、939-940頁。NDLJP:9537621/496。
  2. 1 2 3 4 5 平凡社地方資料センター 編「宝塔院」『日本歴史地名大系』 第15巻(新潟県の地名)、平凡社、1986年7月。ISBN 4-582-49015-8。
  3. 1 2 “三条市指定史跡「地震亡霊塔」”. 三条市. 2025年1月14日閲覧。
  4. 1 2 3 新潟県寺院名鑑企画編集委員会 編『新潟県寺院名鑑』新潟県寺院名鑑刊行会、1983年12月、262頁。NDLJP:12267479/143。
  5. ↑ 三条市史編修委員会 編「上町糸屋万平火事 年代重宝記(抄)」『三条市史』 資料編 第5巻(近現代 1)、三条市、1978年3月、805頁。NDLJP:9537621/428。
  6. ↑ “自然災害伝承碑”. 国土地理院. 2025年1月15日閲覧。
  7. ↑ “私立幼稚園一覧”. 三条市. 2025年1月14日閲覧。
  8. ↑ 新潟県教育百年史編さん委員会 編『新潟県教育百年史』 昭和後期編、新潟県教育委員会、1976年、853頁。NDLJP:12116223/471。

参考文献

  • 良寛維宝堂 編『木村家伝来 良寛墨宝』二玄社、2005年3月。ISBN 4-544-01384-4。 

関連項目

外部リンク