| 室積 光 | |
|---|---|
| 誕生 |
福田 勝洋 1955年4月11日(69歳) |
| 職業 | 劇作家、小説家 |
| 代表作 | 『都立水商!』『記念試合』 |
| ふくだ かつひろ 福田 勝洋 | |
|---|---|
| 本名 | 福田 勝洋 |
| 別名義 | 室積 光 |
| 生年月日 | 1955年4月11日(69歳) |
| 出生地 |
|
| 職業 | 俳優 |
| ジャンル | テレビドラマ、舞台 |
| 活動期間 | 1975年- |
| 活動内容 | 大学在学中 |
| 主な作品 | |
| 『3年B組金八先生』『星の牧場』 | |
室積 光(むろづみ ひかる、1955年4月11日 - )は、山口県・光市出身の作家。ペンネームは出身地である「光市室積」から由来。
本名の『福田 勝洋』(ふくだ かつひろ)名義で俳優としても活動している。俳優としては F ACTOR(現・ラッシュアップ)に所属していた[1]。
八幡製鐵(現・日本製鉄)光製鐵所に勤務していた父の二男として生まれる。幼少時から読書好きで、父の書棚にあった北杜夫、三島由紀夫らの本を読みあさった。山口大学教育学部附属光小学校6年の頃、太平洋戦争末期に結成された演劇慰問部隊が極限状態の戦地で兵士を楽しませた実話を元にした俳優・加東大介の従軍手記『南の島に雪が降る』を読み、役者という仕事に特別な思いを抱くきっかけとなる。その後山口大学教育学部附属光中学校→山口県立光高等学校と進学し、バスケットボールに打ち込む一方、応援団活動にものめり込み、運動会では寸劇や替え歌で周囲を沸かせた。東京経済大学に進学しバスケットボールを続けたが練習中に負傷し、プレーを続けられなくなり退部、喪失感から半年ほど下宿に引きこもるが、模索の中自己分析し、「演劇なら自分を生かせるはず」と、下宿から徒歩圏内にあった劇団若草の門を叩く[2]。入団からおよそ1年後、劇団社長からやりたい仕事を尋ねられ、中学生時代に読み感銘を受けた『きけ わだつみのこえ』に登場する学徒兵たちと同じ年頃になり、手記の言葉がより身近に感じられるようになるにつれて、「彼らを演じたい」という思いが膨らんでいたことから「特攻隊員の役をやりたいです」と志願、社長の勧めで、太平洋戦争末期を舞台にした神山征二郎監督の映画『二つのハーモニカ』のオーディションを受け主役の座を射止める。試写会で招待された旧海軍の元兵士がすすり泣くほど、18歳の大原海軍一等飛行兵曹を体当たりで演じ、「デビュー映画でやりたい役を演じ、こんな得がたい経験もできた。この仕事を、もうやめるわけにはいかない」と役者を本格的に志す[3]。テレビでは1979年のNHK連続テレビ小説『マー姉ちゃん』で初レギュラー。同作での福田の演技に満足した脚本家の小山内美江子が、撮影の打ち上げで共演者やスタッフとともに都内のディスコに繰り出した際、当時ミュージカルにも出演し、ダンサーたちと夜な夜なディスコ通いをしていた福田が得意のダンスを激しく踊っている様子を目に留め、「あれだけ踊れるのだから、体育教師ができるでしょう」と福田を新ドラマに抜擢、『3年B組金八先生』に保健体育の伊東先生役で出演することとなり[注 1]、その後も小山内脚本のドラマに度々出演するなどした[4]。
のち劇作家として、東京地下鉄劇場主宰。脚本、演出も俳優まで手がける。小説家としての処女作は、『都立水商!』。コミック化もされて彼の代表作となっている。水商売を目指す子のための職業高校や、『ドスコイ警備保障』という作品では、大相撲を引退した力士の警備会社など意表をつく設定とユーモアが、彼の作品の持ち味である。児童書も手がけている。
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