| 生年月日 | 1966年3月19日(58歳) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 出身地 |
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| 大学 | 同志社大学 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ラグビーユニオンでの経歴 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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大阪工業大学高校、同志社大学を経て、1988年に三洋電機(現パナソニック ワイルドナイツ)に入社。学生の頃からパワフルな突破力を武器に、日本代表として第1・2回ラグビーワールドカップに出場する。
その一方で、国内での所属チーム(大学時代を含む)の戦績は最高でも準優勝に終わり現役時代は『悲運の闘将』と称される。特に1991年1月の全国社会人大会決勝対神戸製鋼(現神戸製鋼コベルコスティーラーズ)戦では後半ロスタイムに相手ウイング・ウィリアムスに同点となるトライを決められ、途中交代した宮本の無念の表情は当時の監督・宮地克実とともに全国のラグビーファンに強烈な印象を残した。その後も宮地・宮本は神戸製鋼に挑み続けるがことごとく敗退。
1994年1月の全国社会人大会を最後に、持病であった膝の痛みもあり27歳の若さで現役引退する。
引退後は香港に赴任し社業に専念。ラグビーの現場から距離を置いていたが、2004年10月に前監督・柴田浩一の解任に伴い監督に就任し10年ぶりにラグビー界に復帰する。
翌2005年シーズン、チームは開幕から8連勝したが途中で失速しトップリーグ優勝を東芝府中に奪われる。
2007年シーズンはリーグ戦を全勝するもマイクロソフトカップ決勝で敗退、その後日本選手権決勝でサントリーに雪辱し、チームに初の日本選手権優勝をもたらした。
2008年4月1日付けで三洋電機海外営業本部地域営業統括部長に就任し、再び社業に専念している。
2011年に社業の傍ら、同志社大学ラグビー部の監督に就任。就任1年で関西リーグ2位となり、大学選手権では帝京と死闘を演じた。 2012年シーズンをもって同志社大学監督を退任。13年4月に三洋電機執行役員に就任し、再び社業に専念している。
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