家城巳代治

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家城 巳代治(いえき みよじ、1911年9月10日 - 1976年2月22日)は、日本の映画監督、脚本家。

生涯

東京都出身。東京府立三中、弘前高等学校を経て、東京帝国大学文学部を卒業後、1940年に松竹大船へ入社する。助監督部で渋谷実の下で働く。渋谷により『激流』(1944年)が着手される直前に召集されたため、家城が代打で初監督を務めた[1]。

戦後は、撮影所に設立された労働組合の委員長に就任して経営側と渡り合ったが[2]、1950年、連合国軍最高司令官総司令部指令によるレッドパージの波が映画界にも及ぶと、松竹の追放者第一陣のリストに名を連ね退社を余儀なくされた[3][4]。

その後独立プロダクションを支え、以降、『雲ながるる果てに』『ともしび』『異母兄弟』などの名作映画を作り上げ、社会派の映画監督として活躍する一方、草創期のテレビドラマで演出家としても活躍した。

癌のため早世。妻の家城久子(いえき・ひさこ名義もある)は、女優、脚本家、作家。 

監督作品

監督した映画「悲しき口笛」(松竹、1949年)ポスター

映画

テレビ

受賞

映画賞

脚注

  1. ↑ 『日本映画人名事典 監督編』p43 キネマ旬報社編 1997年
  2. ↑ 『日本映画人名事典 監督編』p44
  3. ↑ 「赤追放で映画界混乱」『朝日新聞』1950年(昭和25年)9月24日
  4. ↑ 世相風俗観察会『増補新版 現代世相風俗史年表 昭和20年(1945)-平成20年(2008)』河出書房新社、2003年11月7日、37頁。ISBN 9784309225043。

参考文献

外部リンク