| とみうらまち 富浦町 | |||||
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| 廃止日 | 2006年(平成18年)3月20日[1] | ||||
| 廃止理由 |
新設合併 富浦町・富山町・三芳村・白浜町・千倉町・丸山町・和田町 →南房総市[1] | ||||
| 現在の自治体 | 南房総市 | ||||
| 廃止時点のデータ | |||||
| 国 |
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| 地方 | 関東地方 | ||||
| 都道府県 | 千葉県 | ||||
| 郡 | 安房郡 | ||||
| 市町村コード | 12461-3 | ||||
| 面積 | 25.69 km2 | ||||
| 総人口 |
5,689人 (2000年10月1日) | ||||
| 隣接自治体 | 館山市、安房郡:富山町、三芳村 | ||||
| 町の木 | ビワ | ||||
| 町の花 | 菜の花 | ||||
| 富浦町役場 | |||||
| 所在地 |
〒299-2416 千葉県安房郡富浦町青木28 | ||||
| 外部リンク | 【南房総いいとこどり】富浦町 | ||||
| 座標 | 北緯35度02分35秒 東経139度50分24秒 / 北緯35.04314度 東経139.84度座標: 北緯35度02分35秒 東経139度50分24秒 / 北緯35.04314度 東経139.84度 | ||||
| ウィキプロジェクト | |||||
富浦町(とみうらまち)は、かつて千葉県安房郡に存在していた町。館山都市圏に属していた。
2006年(平成18年)、平成の大合併により廃止され、南房総市の一部となった[1]。「富浦町」の名は、南房総市に含まれる旧町域の町丁の冠称として残っている。なお、現在(2018年時点)の南房総市役所は、旧富浦町役場の建物を利用している。
本項では、1889年の町村制施行により成立した富浦村(当初は平郡所属)、1933年に富浦村が町制を施行して成立した富浦町(初代)、1955年に初代富浦町と八束村が合併して成立した富浦町(2代目)について説明する。

富浦町(以下、特に断りのない限り平成の大合併まで存在していた2代目富浦町を指す)は、房総半島の南部に位置していた町である。気候は温暖である。
町域の西側は、南北10kmにわたり東京湾(浦賀水道)に面し[2]、残る三方を山に囲まれている。北部には木の根峠 (181m) を通る東西の山脈、東部には地区の最高点である青木山 (215m) を含み南北に走る200m級の山脈[2])、南部には堂山を通る東西の小丘陵がある[2]。町域北部(豊岡以北)は数千年前から隆起を繰り返してきた段丘が形成され[2]、山が迫る地形となっている。道路も狭隘で土砂崩れの危険性も多く、国道・鉄道ともに規制が多い。岡本川とその支流は東部(八束地区)に河岸段丘を、下流部に平野を作り出して富浦湾に注ぐ[2]。
南西部で大房岬(たいぶさみさき)が浦賀水道に突き出ており、富浦湾を抱える(富浦湾の範囲は、大房岬の北端にあたる「多田良岬」と、町域北西部にある「南無谷岬」を結ぶ範囲とされる[3])。大房岬以南は館山湾(鏡ヶ浦)に面している。
富浦町の町域の西半分は初代富浦町(旧富浦村)の町域であり、東半分は旧八束村の村域である。1926年(大正15年)時点の富浦村は、北に木根峠を隔てて岩井村に、東は八束村に、南東は船形町に接していた[4]:1046。当時は全村を多田良(ただら)・原岡(はらおか)・豊岡(とよおか)・南無谷(なむや)[注釈 1]の4区に分けていた[4]:1046。
南房総市においては、合併前の町村によって市域を7地区に分けており[7]、旧富浦町の地域は「富浦地区」となる[8]。南房総市社会福祉協議会では、小学校区や中学校区(おおむね町村制発足時の町村)をもとに市域を16地区に分けており(2018年現在)、旧富浦町の地域は「富浦地区」「八束地区」に分けられている[9]。

1897年(明治30年)以前は平郡に属していた地域である。古くは多田良荘岡本郷に属していた[10]。戦国時代には、里見氏が聖山(ひじりやま)一帯に岡本城を修築し、天然の良港を水軍の拠点として、北条氏に備えた[11]。
1873年(明治6年)、塩入村・坂村が合併し豊岡村となる[10]。1877年(明治10年)、原村・岡本村が合併し原岡村となる[10]。1878年(明治11年)、千葉県に郡区町村編制法が施行されると、原岡村・多田良村・青木村は1つの連合(連合戸長役場)となり、豊岡村は南無谷村と連合した[10]。1884年(明治17年)に戸長役場の管轄変更が行われた際に、青木村[注釈 2]を除く4か村(原岡村・多田良村・豊岡村・南無谷村)が連合した[10]。
1889年(明治22年)、町村制施行に伴い、4か村が合併して富浦村が発足[10]。「富浦」の名は、豊富な海産を願って新たに定められた村名である[10](瑞祥地名)。
1918年(大正7年)、木更津線(現在の内房線)安房勝山駅 - 那古船形駅間が延伸し、富浦駅が開業した。
1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災においては、北条線(内房線)岩富トンネルが崩落した[13]。
1933年(昭和8年)、町制を施行し、富浦町となる。
昭和の大合併が進められていた1955年(昭和30年)、初代富浦町は東隣の八束村と合併し、改めて富浦町が発足した。富浦町役場は、青木地区(旧八束村)に置かれた。
2004年(平成16年)、富津館山道路の鋸南富山インターチェンジ - 富浦インターチェンジ間が延伸した。
2006年(平成18年)3月20日、平成の大合併が進められる中で、富浦町と富山町・三芳村・丸山町・和田町・千倉町・白浜町が合併して南房総市が発足した。これに先立つ2月26日に閉町式が行われた[14]。なお、南房総市役所は、「当面」の措置として旧富浦町役場の建物を利用している。
1888年(明治21年)に記された分合取調文書によれば、富浦村となる各村では漁業と農業を営んでいたとされる[10]。
1926年(大正15年)の『安房郡誌』によれば、主要産業は農業で、漁業がこれに次ぐとされる[4]:1047。特筆されているのはビワの栽培で[4]:1047-1048、京浜の市場に出荷され、ことに「南無谷枇杷」が著名であるとされる[4]:1047。また、モモの栽培や畜産も産業として挙げられている[4]:1047。
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