富谷宿(とみやじゅく)は、奥州街道の72番目の宿場である。江戸時代初期の元和4年(1618年)に設置され、現在の宮城県富谷市富谷新町にあった。
仙台市と富谷市の境、国道4号の大沢峠から北へ約5kmの富谷市しんまち地区は、宮城県道256号(県道西成田宮床線)しんまち通り全長約400mの往還に旧家が建ち並ぶ。かつて富谷新町宿とも呼ばれており江戸時代には宿場であった[1]。この界隈には江戸時代に肝入を務め本陣を仰せ付けられた内ヶ崎家[注釈 1]がある。元本陣の内ヶ崎家別邸、本陣跡の近くに「恋路の坂」があり、この坂を上ると茶の畑がある。往時は一帯で茶が栽培され、富谷茶として知られていた[2]。1970年(昭和45年)を最後に富谷茶の栽培が途絶えていたが2020年(令和2年)の復活を目指し栽培が再開された[3][4]。
2021年春に内ヶ崎作三郎の生家を大規模改修した観光施設「富谷宿観光交流ステーション」(とみやど)がオープンする[6]。観光施設内には内ヶ崎の記念館が設けられる[6]。
注釈
出典
座標: 北緯38度23分56.39秒 東経140度53分14.03秒 / 北緯38.3989972度 東経140.8872306度
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