尾幌
| 尾幌 | |
|---|---|
| 町丁 | |
|
| |
北緯43度1分6.5秒 東経144度42分13.91秒 / 北緯43.018472度 東経144.7038639度座標: 北緯43度1分6.5秒 東経144度42分13.91秒 / 北緯43.018472度 東経144.7038639度 | |
| 座標位置:尾幌駅付近 | |
| 都道府県 |
|
| 郡 | 厚岸郡 |
| 市町村 | 厚岸町 |
| 人口情報(2023年12月31日) | |
| 人口 | 217 人 |
| 世帯数 | 120 世帯 |
| 郵便番号 | 088-0871 |
| 市外局番 | 0153 |
| ナンバープレート | 釧路 |
尾幌(おぼろ)は、北海道厚岸郡厚岸町にある地名。郵便番号は088-0871[1]。本項では隣接する来別(らいべつ、郵便番号088-0872[2])についても記載する。
地理
厚岸町西部に位置し、敏内、沖万別、苫多、門静、乙幌、来別、上尾幌、ルークシュポール、釧路町仙鳳趾村に隣接する。地区内を根室本線と国道44号が横断している。
来別は尾幌、上尾幌、門静、乙幌のほか、片無去とも隣接する。
河川
- 尾幌川
- ルークシュポール川
- オタクパウシ川
歴史
尾幌の開拓の歴史は古く、1870年(明治2年)には後に厚岸町長となる村林謙吉が移り住んでいる。1899年(明治32年)には鵡川(現在のむかわ町)に入植したものの洪水の被害に遭った21戸が尾幌に移り住み、4月26日には尾幌村が開村している[3]。米や大豆、小豆を除けば相応に収穫量があったものの、洪水の被害を受けやすかったころから農業で生計を立てるものは少なく、1901年(明治34年)に殖民道路が開通したことで林業が主産業となった[4]。
1931年(昭和6年)から1932年(昭和7年)には同地でニシンの不漁と森林資源の枯渇が同時に発生したことで酪農への転換を図り、八雲と根室からエアシャー種を導入して以降、酪農が主産業となっており[3]、1967年(昭和42年)からは国営パイロット事業がすすめられた[5]。
地名の由来
アイヌ語で「河口の大きい川」を意味する「オ・ポロ・ペッ」が由来とされる[5]。
沿革
世帯数と人口
2023年(令和5年)3月31日現在の世帯数と人口は以下のとおりである[9]。
| 地区名 | 世帯数 | 人口 |
|---|---|---|
| 尾幌 | 120世帯 | 217人 |
小・中学校の学区
町立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[10]。
かつては厚岸町立尾幌小学校、尾幌中学校が存在したが、2009年(平成21年)に閉校している[11]。
| 小学校 | 中学校 | |
|---|---|---|
| 全域 | 厚岸町立真龍小学校 | 厚岸町立真龍中学校 |
交通
施設
- 尾幌郵便局
その他
脚注
- ↑ “北海道 厚岸郡厚岸町 尾幌の郵便番号 - 日本郵便”. www.post.japanpost.jp. 2025年2月21日閲覧。
- ↑ “北海道 厚岸郡厚岸町 来別の郵便番号 - 日本郵便”. www.post.japanpost.jp. 2025年2月24日閲覧。
- 1 2 『厚岸の史実』厚岸町、1968年4月。doi:10.11501/3453350。
- ↑ “尾幌原野の狀況”. 殖民公報 (北海道庁) (42): 11-13. (1908-05). doi:10.11501/1480239.
- 1 2 『北海道地名誌』北海教育評論社、1975年8月、672頁。doi:10.11501/12191711。
- 1 2 “改正地区区域図一覧 | 厚岸町字名改正事業 | まちづくり | 政策・計画・事業 | 行政情報”. 北海道厚岸町. 2025年2月21日閲覧。
- ↑ “新区域及び新名称全体図[H15.7.14改正]”. 厚岸町. 2025年2月21日閲覧。
- ↑ “新区域及び新名称全体図[H15.11.17改正]”. 厚岸町. 2025年2月21日閲覧。
- ↑ “令和5年度版 厚岸町統計書”. 厚岸町. 2025年2月20日閲覧。
- ↑ “小学校、中学校と通学区域 » 厚岸町教育委員会”. edu.town.akkeshi.hokkaido.jp. 2025年2月19日閲覧。
- ↑ finalaccess (2021年6月24日). “厚岸町立尾幌小中学校 閉校”. ファイナルアクセス. 2025年2月21日閲覧。
- ↑ 『北海道炭山誌 第2号 釧路炭田』日本石炭協会北海道支部、1953年、111-112頁。doi:10.11501/2464756。
