山口直勝

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山口直勝
時代 江戸時代後期
生誕 天明2年(1782年)
死没 文政8年(1825年)9月
別名 勝次郎
官位 従五位下相模守
幕府 江戸幕府旗本
主君 徳川家斉
氏族 山口氏
父母 父:山口直清、母:山口直承娘・嘉智子
妻 沢木氏、蒔田広朝娘
子 直信、伊達宗城、伊達宗孝
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山口 直勝(やまぐち なおかつ)は、江戸時代後期の旗本。石高は3000石。官位は従五位下相模守。

略歴

山口直清の子として誕生。母は山口直承娘・嘉智子。

寛政10年(1798年)5月4日、17歳で父の遺跡を継ぐ[1]。文化10年(1813年)6月より火災巡視を務め、文化13年(1816年)12月には中奥小姓となる。文政2年(1819年)12月に従五位下相模守に叙任される。文政8年(1825年)9月に死去[2]。

宇和島藩主伊達宗城、伊予吉田藩主伊達宗孝の父として有名であるが、その他の実績等は文献に乏しい。

『鶴鳴余韻』(伊達家家記編輯所編纂の宇和島藩主の伝記)によれば、画家・渡辺崋山の門人であったという[2]。

系譜

脚注

  1. ↑ 『寛政重修諸家譜 第2輯』国民図書、1923年、p.279。
  2. 1 2 谷有二「幕臣山口氏と宇和島・吉田藩主」(『伊予史談』第214・215合併号、1974年8月、p.20)