岩下修一

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岩下 修一
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 静岡県浜松市天竜区
生年月日 (1973-06-02) 1973年6月2日(51歳)
身長
体重
177 cm
87 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1999年 ドラフト4位
初出場 2000年4月2日
最終出場 2006年8月5日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

岩下 修一(いわした しゅういち、1973年6月2日 - )は、静岡県出身[1]の元プロ野球選手(投手)。左投左打。現役時代は2006年のみ登録名を「岩下 修壱」(読みは同じ)とした。

現役中に難病である白血病を克服したことでも知られている[1]。

経歴

浜松工高では2年秋の東海大会でイチロー擁する愛工大名電に敗れる[2]。三菱重工自工名古屋、分離した三菱自動車岡崎では補強3回を含めて4度都市対抗野球に出場[3]、1999年秋のドラフト会議でオリックス・ブルーウェーブから4位指名を受け入団[1]。この年、三菱自動車岡崎の同僚・山口和男が同じくオリックスに1位で指名された。

2000年、キャンプ、オープン戦と結果を残し開幕一軍に抜擢され、変則フォームから繰り出すストレートとスライダーを武器に左腕ではチームトップの登板数を記録した。

2001年7月、急性骨髄性白血病にかかり入院[1]。

2002年、開幕戦で復帰登板[1]。

2004年末の球団合併・分配ドラフトを経て、2005年はオリックス・バファローズと契約。同年オフ、戦力外通告を受けオリックスを退団。

2006年、北海道日本ハムファイターズにテスト入団。登録名を岩下修壱に変更。しかし3試合の登板にとどまり、1年で再び戦力外通告を受け打撃投手に転向した。

打撃投手転向後も岩下修壱名義だったが、2009年より本名に戻している。

2023年シーズン限りで日本ハムを退団。2024年1月15日付でオリックスの球団本部管理部スコアラーグループに入団した[4]。

詳細情報

年度別投手成績

年

度
球

団
登

板
先

発
完

投
完

封
無
四
球
勝

利
敗

戦
セ
丨
ブ
ホ
丨
ル
ド
勝

率
打

者
投
球
回
被
安
打
被
本
塁
打
与
四
球
敬

遠
与
死
球
奪
三
振
暴

投
ボ
丨
ク
失

点
自
責
点
防
御
率
W
H
I
P
2000 オリックス 440000100--1.00013430.11912522312015133.861.45
2001 30000000------41.200000100000.000.00
2002 180000000------489.21336001200998.381.97
2003 200000200--1.0006312.21318117101174.971.66
2004 90000000------255.181300400335.062.06
2005 100000000----10.01000000000--------
2006 日本ハム 300000000----133.100301100000.000.90
通算:7年 98000030001.00028863.05464534563038324.571.57

記録

背番号

  • 26 (2000年 - 2005年)
  • 69 (2006年)

登録名

  • 岩下 修一 (いわした しゅういち、2000年 - 2005年)
  • 岩下 修壱 (いわした しゅういち、2006年)

脚注

  1. 1 2 3 4 5 プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、70ページ
  2. ↑ 2000プロ野球プレイヤーズ名鑑 スポーツニッポン新聞社
  3. ↑ - 都市対抗野球大会80年史
  4. ↑ 「【オリックス】球団OBの岩下修一さんが球団本部管理部スコアラーグループに入団」『中日スポーツ』2024年1月31日。2024年4月3日閲覧。

関連項目

外部リンク