嶌田川儀兵衞
嶌田川 儀兵衞(しまだがわ ぎへえ、天保15年〈1844年〉8月[要出典] - 1922年〈大正11年〉2月15日[1][2])は、上野国邑楽郡千塚村(現在の群馬県館林市千塚町)出身で東関部屋に所属した大相撲力士。本名は濱野 儀兵衛(はまの ぎへえ)[1][3]。 最高位は東前頭9枚目[1][3][2]。
人物
天保15年(1844年)、上野国邑楽郡千塚村(現・群馬県館林市千塚町)に生まれる[1][3]。慶応4年(1868年)3月に佐野小中出身の東関勝五郎を頼り伊勢ノ海部屋に入門した[3][4][2]。明治2年(1869年)染手綱(そめたづな)次平の名で序ノ口として初土俵[1][3]。明治4年(1871年)三段目で島田川と改名する[1][3]。1877年(明治10年)下の名前を儀兵衛と改める[1][3]。
1880年(明治13年)5月場所で新入幕[1][3][4][2][5]。入幕時の年齢が37歳と高齢であり、「鯛のジイ」と呼ばれた[3][6]。また初っ切りの名人としても知られた[3]。1882年(明治15年)十両に陥落[1][7]。
1886年(明治19年)引退し年寄東関を襲名[1][3][4][7]。年寄となってからは勧進元を3回務めた[1]。1918年(大正7年)横綱太刀山に年寄名跡を譲り廃業[1][3]。同年東関倉吉らにより生家・浜野家の前に「六代目東関記念碑」が建立された[1][3][4][2]。
略歴
主な成績
- 通算成績:45勝69敗12休16分6預(18場所)
- 幕内成績:5勝17敗12休4分2預(4場所)[3]
- 十両成績:40勝52敗12分4預(14場所)
改名歴
- 染手綱 次平
- 島田川 次平
- 島田川 儀兵衛
- 島田川 儀平
- (年寄)東関 庄介
脚注
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 相撲史跡研究会 編『相撲の史跡』 3巻、相撲史跡研究会、1980年6月15日、170-171頁。doi:10.11501/12145419。(
要登録) - 1 2 3 4 5 6 7 館林市教育委員会; 館林市立図書館 編『館林双書』 19巻、館林市立図書館、1991年3月15日、59-60頁。doi:10.11501/13229383。(
要登録) - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 館林市史編さん委員会 編『館林市史別巻 館林歴史人物事典』館林市、2024年3月31日、357頁。
- 1 2 3 4 館林市立図書館 編『館林双書』 5巻、館林市立図書館、1975年3月25日、106-108頁。doi:10.11501/13229481。(
要登録) - ↑ 酒井 1964, pp. 52–53.
- ↑ 浅坂さんの「ニックネーム力士列伝」〜その3〜 おすもうさん 2021年4月16日 (2023年2月27日閲覧)
- 1 2 酒井 1964, pp. 60–62.
参考文献
- 酒井忠正『日本相撲史』 中、日本相撲協会、1964年6月15日。doi:10.11501/1692169。(
要登録)
- 『大相撲名力士風雲録 第11号』、ベースボールマガジン社