布良
| 布良 | |
|---|---|
| 大字 | |
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布良崎神社 (令和元年房総半島台風で被災する以前) | |
北緯34度54分58秒 東経139度49分40秒 / 北緯34.9161度 東経139.8278度座標: 北緯34度54分58秒 東経139度49分40秒 / 北緯34.9161度 東経139.8278度 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 市町村 |
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| 人口情報(2023年(令和5年)8月1日現在[1]) | |
| 人口 | 346 人 |
| 世帯数 | 204 世帯 |
| 設置日 | 1889年(明治22年)4月1日 |
| 郵便番号 | 294-0234[2] |
| 市外局番 | 0470[3] |
| ナンバープレート | 袖ヶ浦 |
地理
館山市および房総半島最南端部に位置し、西側は太平洋に面する[4]。地内東部は山林であり、北西部の山麓から海岸に至る斜面に住宅が集中する。
北西で相浜、北から東にかけて大神宮、南で南房総市白浜町根本とそれぞれ接する(特記ないものは館山市)。
海岸
- 布良海岸
歴史
地名の由来
布(め、食用の海草を指す古語)が繁茂している浦という意味の「布浦」(めうら)が転訛したとする説、紀伊国目良[注 1]あるいは伊豆国妻良[注 2]の住人が移住した地にちなむという説、天富命が阿波忌部氏を率いてこの地に上陸した際に現地の住民から献上された布を「良い布」と賞したことに由来するという伝承などがある[4]。
沿革
世帯数と人口
2023年(令和5年)8月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
| 大字 | 世帯数 | 人口 |
|---|---|---|
| 布良 | 204世帯 | 346人 |
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]。
| 番地 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|
| 全域 | 館山市立房南小学校 | 館山市立房南中学校 |
交通
地内を通る鉄道路線はない。
バス
道路
施設
史跡
- 布良崎神社
- 駒ケ崎神社
- 能忍寺
- 龍樹院
ギャラリー
- 布良崎神社二の鳥居・一の鳥居
- 布良崎神社御由緒
脚注
注釈
出典
- 1 2 R5年8月地区別人口 (PDF) - 館山市. 2023年8月12日閲覧。
- 1 2 3 “郵便番号”. 日本郵便. 2023年8月12日閲覧。
- ↑ 市外局番の一覧(令和3年10月1日現在) (PDF) - 総務省
- 1 2 3 4 5 6 7 8 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典』 12. 千葉県、角川書店、1984年、840頁。ISBN 4040011201。
- ↑ “千葉)台風15号半年、移転強いられる人も 館山・鋸南”. 朝日新聞. (2020年3月9日) 2020年12月25日閲覧。
- ↑ “町の景色変わった 修理が進む一方、離れる人も… 台風15号1年 千葉・館山ルポ”. 毎日新聞. (2020年9月9日) 2020年12月25日閲覧。
- ↑ “幼稚園・小学校・中学校 通学区域”. 館山市 (2017年4月1日). 2020年12月25日閲覧。
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典12. 千葉県』角川書店、1984年。ISBN 4040011201。
関連項目
- 富崎村
- 天富命
- 忌部氏#阿波忌部の東遷説話
- 青木繁 - 洋画家。1904年の夏に布良に滞在し、代表作『海の幸』を制作した。
- カノープス - りゅうこつ座の1等星。房総半島沿岸部では布良の方向に見える星として「布良星」と通称される。
| 相浜 | 大神宮 | |||
| (太平洋) | 大神宮 | |||
| 南房総市白浜町根本 |
