廣岡資生

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廣岡 資生
基本情報
出身地 兵庫県姫路市
生年月日 1960年4月2日
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • 松下電器産業

廣岡 資生(ひろおか やすなり、1960年 4月2日 - )は、元アマチュア野球選手・指導者である。ポジションは遊撃手。

来歴・人物

ヤクルト、西武の監督を務めた広岡達朗の甥[1]。1979年に姫路東高校卒業後、早稲田大学に入学し同大学野球部所属。東京六大学野球リーグでは内野手として活躍し、4年次の1982年秋季リーグで3年木暮洋投手らと共に、打線が不調のなか気を吐き、法大や明大を抑え3年ぶりのリーグ戦優勝に貢献した。ベストナインに選出され、45打数16安打、打率3割5分6厘という成績で首位打者にも選出された[2]。続く第13回明治神宮大会準決勝で東海大3年髙野光投手に早大打線が、大会タイ記録(当時)となる17奪三振[3]を喫し0-2で敗退した。

リーグ通算45試合に出場、140打数38安打、打率.271、3本塁打、10打点、6盗塁、ベストナイン1回を記録。

1983年に大学卒業後、社会人野球の松下電器に入団する。1985年の日本選手権では優秀選手に選ばれた[4]。1989年の都市対抗野球では主将として準決勝で潮崎哲也の好投でこの大会優勝するプリンスホテルに延長13回の末に惜敗。原井和也と二遊間を組んだ。

1992年から1994年まで松下電器の監督を務めた[5]。当時の選手に小池秀郎、古池拓一らがいた。

またその一方で、NHKで高校野球解説者を務めた。2019年からセンバツ選考委員を務めている[6]。

脚注

  1. ↑ 1982年11月2日 読売新聞 朝刊 P17
  2. ↑ https://www.big6.gr.jp/system/prog/record.php?kind=record_leadhitter
  3. ↑ 大会記録(大学)>個人記録 明治神宮野球場。2026年10月10日閲覧。
  4. ↑ 「日本社会人野球協会会報1985」日本社会人野球協会 1986年
  5. ↑ https://panasonic.co.jp/sports/baseball/game/record_intercity.html
  6. ↑ 2019年9月26日 毎日新聞 東京朝刊 P21

関連項目