| 時代 | 平安時代前期 |
|---|---|
| 生誕 | 嘉祥元年(848年)? |
| 死没 | 延喜8年5月6日(908年6月7日)? |
| 官位 | 従五位下・陰陽頭 |
| 主君 | 清和天皇→陽成天皇→光孝天皇 |
| 氏族 | 弓削氏 |
| 父母 | 父:弓削安人 |
弓削 是雄(ゆげ の これお)は、平安時代前期の貴族・陰陽師。姓は連のち宿禰。正六位上・弓削安人の子。官位は従五位下・陰陽頭。
清和朝前半に陰陽寮の陰陽師を務め、貞観6年(864年)父・安人らと共に本貫を播磨国飾磨郡から河内国大県郡に改める[1]。清和朝後半は陰陽允・陰陽権助と引き続き陰陽寮の官人を務め、貞観15年(873年)には再び本貫を移し右京三条二坊に貫附されている。
貞観19年(877年)正月に陽成天皇の即位に伴って外従五位下に昇叙され、同年12月には連姓から宿禰姓に改姓する。また同年4月1日に夜間の日蝕が発生したが、事前に中務省から奏上があり廃務が行われた。これに関して、事前に官司が夜間の日蝕を奏上する事への是非について暦博士に下問があった。これに対して、陰陽頭兼暦博士・家原郷好と共に、夜間の日蝕が発生する際には予め中務省に報告がなされる例となっている旨の言上をしている[2]。
元慶6年(882年)内位の従五位下に叙せられ、仁和元年(885年)陰陽頭に昇格した。一説では延喜8年(908年)5月6日卒去。享年61。
占いの技術に定評があったらしく、あるとき同宿者に対する夢占いを行って危機を知らせてその命を救った、との説話が『今昔物語集』にある[3]。
注記のないものは『日本三代実録』による。
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