征矢野半弥

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征矢野半弥

征矢野 半弥(そやの はんや、1857年9月22日(安政4年8月5日[1]) - 1912年(明治45年)2月9日)は、衆議院議員(自由党→憲政党→立憲政友会)、ジャーナリスト。

経歴

小倉藩士の子として生まれるが、1866年の小倉戦争で小倉城が陥落したため、一家は築城郡下城井村(現在の築上郡築上町)に逃れた。自由党に加入し[2]、福岡県会議員、同議長を務めた[3]。

1894年、第3回衆議院議員総選挙で当選。以後当選回数は6回を数えた。その他、福岡日日新聞の社長を務めた[3]。

脚注

  1. ↑ 衆議院『第十八回帝国議会衆議院議員名簿』(第十八回帝国議会衆議院公報第一号附録)〔1903年〕、26頁。
  2. ↑ 『新選代議士列伝』p.288
  3. 1 2 『衆議院議員略歴』

参考文献

  • 『新選代議士列伝』金港堂、1902年。 
  • 『第一回乃至第十九回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1936年。