憲法草稿評林

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憲法草稿評林(けんぽうそうこうひょうりん)は、1880年(明治13年)に元老院が作成した憲法草案「日本国憲按」第三次案(以下「国憲」)を基礎として、民間の評者が評論を加えた文書である[1]。

独立した憲法条文を提示する一般的な私擬憲法とは異なり、元老院の「国憲」、作者未詳の「下段評論」、さらに小田為綱と推定される「上段評論」という複数の言説が重ねられている点に特徴がある。天皇統治を前提としながら、天皇の廃位、国民投票、議会による君権の制約、皇位継承者が絶えた場合の共和制への移行などを論じたことで知られる。

小田家に伝来した「憲法草稿評林一」は、2023年(令和5年)3月31日に久慈市指定有形文化財(古文書)に指定された[2]。

成立の背景

1876年(明治9年)、明治天皇は元老院に対して国憲草案の起草を命じた。元老院は第一次案、第二次案を経て、1880年7月に最終案となる第三次案「国憲」をまとめた。しかし、各国憲法の模倣に偏り、日本の「建国ノ体」を考慮していないとの批判を受けて採用されず、公表もされなかった[3]。

一方、自由民権運動では、1880年11月の第2回国会期成同盟大会で、加盟政社が翌年の大会までに憲法見込案を持ち寄ることが決められ、各地で私擬憲法の起草が活発になった。「憲法草稿評林」もこの時期に成立したと推定される。

非公開だった「国憲」が民間に伝わった経路は明らかになっていない。江村栄一は下段評論の成立を1880年7月初旬から1881年10月以前、上段評論を1881年末から1882年頃と推定しているが、成立時期には異説がある[4]。

文書の構成

研究上、「憲法草稿評林」は次の三層に区別される。

層 内容 作成者・評者
基本文 元老院「日本国憲按」第三次案の編・章・条文 元老院
下段評論 「国憲」の条文や章に対する墨書の評論 未詳
上段評論 「国憲」と下段評論の双方に対する上欄の朱書き 小田為綱とする説が有力

「憲法草稿評林」と題する別系統の写本には、「国憲」と下段評論のみが記されている。これに対し、小田家に伝来した「憲法草稿評林一」は、前者を写した本文の上部に空白を設け、朱筆で上段評論を加えた袋綴じ16葉の小冊子である。朱書きには抹消、貼紙、書き直しなどの推敲の跡が残されている[4]。

内容

天皇と「君民共治」

下段評者と上段評者は、ともに皇統の存続を肯定しつつ、天皇による無制限の統治を否定した。国家の大権は天皇と議会が共有・分有すべきであり、人民の権利を圧迫する君主専制を防止する必要があるとした。この政治体制は「君民共治」と表現されている[1]。

下段評論は、天皇を「神聖」として責任を問わない規定を批判し、天皇が憲法を守らず人民の権利を抑圧した場合、全国的な投票によって廃立できるとした。上段評論も天皇の無答責を否定し、徳を欠く天皇について「廃帝ノ法則」を設けるべきだと論じた。ただし、下段評論が国民投票による直接的な決定を重視したのに対し、上段評論は全国から意見を集めた後、最終的に両院が議決する方式を主張した。

皇位継承と政体の変更

下段評論は、皇位を継承できる皇胤が絶えた場合、代議士院が候補者を予選し、人民一般の投票によって臣民から新たな皇帝を選出することを認めた。さらに、国民投票によって政体を変更し、統領を選出する共和制への移行も選択肢として示した[4]。

一方、上段評論は血統だけでなく君主の「徳」を重視し、嫡長子であっても不徳であれば廃し、より有徳な皇族を選ぶべきだとした。その皇位継承論には、儒教的な徳治思想と皇統尊重が併存している。

議会と国民投票

下段評論は、皇帝の法律拒否権、議会解散権、世襲的な貴族院などを批判し、議会の権限強化を主張した。議会の解散、天皇の廃立、憲法の停止・改廃などの重要事項については、人民一般の投票によって決定する構想を示している。

選挙権について、下段評論は男女の戸主を対象とし、財産や学歴による制限に反対した。他方、上段評論は、当時の人民が十分な政治的知識を持たないとの認識から、選挙を「賢者」に委ね、官吏や元老院議員についても「挙賢法」や試験によって選抜する能力主義的な制度を構想した[4]。

このため、下段評論と上段評論はともに君権の制約を求めながら、人民による直接決定をどの程度認めるかという点では異なっている。

構想の範囲

天皇と議会の権限、廃帝、国民投票、政体変更については詳細な議論がある一方、内閣、司法、国民の権利・義務についての検討は限定的であり、議員立法権の規定も明確ではない。金井隆典は、後世の民主憲法を基準に単純に「先進的」「後進的」と評価するのではなく、近代日本の形成過程における「君民共治」の制度化として理解する必要があると指摘している[1]。

評論者をめぐる研究

上段評論

上段評論については、安藤陽子、小西豊治、大島英介、江村栄一らが小田為綱説を採っている。主な根拠として、他の小田自筆文書との筆跡の一致、小田家に憲法関係書籍が残されていたこと、国学・儒教思想の共通性、朱書き部分に推敲の跡があることなどが挙げられている[4]。

これに対し、沢大洋は1992年に河津祐之説を提示した[5]。江村は、河津の人民主権論、両院議員の民選論、裁判官公選論が、上段評論の賢者選挙・試験任用構想と一致しないとして河津説を退け、小田説を補強した。ただし、公的な展示・解説でも上段評者は「小田為綱と推定」と表現されている[6]。

下段評論

下段評論の作者は確定していない。金井隆典は、これまで候補とされた人物として、小田為綱、鈴木舎定、青木匡、島田三郎、田中耕造、古沢滋を挙げている[1]。

稲田正次は1982年、下段評者を嚶鳴社の青木匡とする説を提示した[7]。青木が国約憲法論を唱え、憲法制定権は全国人民に属し、人民代表による特別会議が憲法を起草・審議すべきだと論じていたこと、皇帝の法律拒否権や上院の選挙方法について下段評論と近い見解を示していたことなどが論拠とされた[8]。

小西豊治は、ベンサム思想の受容、政治用語、島田の論説・翻訳との比較などから島田三郎説を唱えた[9]。

江村栄一は従来の諸説を成立しないとして、1992年に古沢滋説を提起した[10]。古沢と元老院議官・中島信行との関係、古沢のフランス滞在と西園寺公望との交流、「我輩平民」という自称などを傍証としている。

いずれの説にも決定的な証拠はなく、衆議院憲法調査会の資料も起草者について複数説があるとしており[3]、久慈市も作者を不明としている[2]。

発見と研究

「憲法草稿評林一」は、小田家に保管されていた文書群から1967年頃に発見された。これを契機として、それまで忘れられていた小田為綱の思想と活動が再評価されるようになった[11]。

1970年代に部分的な紹介が行われ、安藤陽子が1982年に「憲法草稿評林一」の全文を翻刻した。その後、稲田正次、小西豊治、江村栄一らによって、文書の構成、成立年代、評論者、憲法思想をめぐる研究が進められた。

2009年には衆議院憲政記念館の特別展「激動の明治国家建設」で「小田為綱憲法構想」として展示された[6]。2023年には久慈市指定文化財となり、久慈市歴史民俗資料室に収蔵されている[2]。

評価

江村栄一は、下段評論が国民投票、皇帝の廃立、共和制への移行を制度として示した点を重視し、植木枝盛の「東洋大日本国国憲按」と並ぶ自由民権期の代表的な憲法構想と評価している[4]。

一方、金井隆典は、後世の立憲制度を基準として民主的・非民主的、先進的・後進的と分類するだけでは、文書の歴史的性格を十分に捉えられないとする。その上で、「憲法草稿評林」を、天皇統治という建国原理を受け入れながら、天皇の大権を議会と人民の権限によって制約しようとした「君民共治」の制度構想として位置付けている[1]。

関連項目

脚注

  1. 1 2 3 4 5 金井隆典「小田為綱「憲法草稿評林」にみる民権家の国家構想―「君民共治」の制度化―」『大和大学研究紀要 政治経済学部編』第4巻、2018年3月、1-12頁、2026年8月24日閲覧。
  2. 1 2 3 “久慈市の文化財―憲法草稿評林”. 久慈市. 2026年8月24日閲覧。
  3. 1 2 “明治憲法と日本国憲法に関する基礎的資料(明治憲法の制定過程について)”. 衆議院憲法調査会事務局. pp. 23-25 (2003年5月). 2026年8月24日閲覧。
  4. 1 2 3 4 5 6 江村栄一「「憲法草稿評林一」の上段評論について―小田為綱の憲法構想」『経済志林』第66巻3・4、1999年3月、27-49頁、doi:10.15002/00002616、2026年8月24日閲覧。
  5. ↑ 沢大洋「「憲法草稿評林」の上段評論者とは誰か―小田為綱と河津祐之との比較思想的一考察」『歴史評論』第512号、1992年12月、81-96頁、2026年8月24日閲覧。
  6. 1 2 “「激動の明治国家建設」特別展”. 衆議院憲政記念館 (2009年). 2026年8月24日閲覧。
  7. ↑ 稲田正次 著「小田為綱関係文書「憲法草稿評林」について」、衆議院憲政記念館 編『憲政記念館の十年』衆議院憲政記念館、1982年、33-51頁。
  8. ↑ 家永三郎・松永昌三・江村栄一 編『新編 明治前期の憲法構想』福村出版、2005年、36-48頁。ISBN 4-571-31012-9。
  9. ↑ 小西豊治『もう一つの天皇制構想―小田為綱文書「憲法草稿評林」の世界』御茶の水書房、1989年。ISBN 4-275-01302-6。
  10. ↑ 江村栄一「「憲法草稿評林」について〔含資料〕」『経済志林』第60巻1・2、1992年9月、255-310頁、2026年8月24日閲覧。
  11. ↑ “小田為綱”. 北三陸ヒストリア収蔵品データベース. 久慈市. 2026年8月24日閲覧。