新木山古墳
| 新木山古墳 | |
|---|---|
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墳丘(右に前方部、左奥に後円部) | |
| 所属 | 馬見古墳群(中央群) |
| 所在地 | 奈良県北葛城郡広陵町赤部字新木山 |
| 位置 | 北緯34度33分2.67秒 東経135度44分14.37秒 / 北緯34.5507417度 東経135.7373250度座標: 北緯34度33分2.67秒 東経135度44分14.37秒 / 北緯34.5507417度 東経135.7373250度 |
| 形状 | 前方後円墳 |
| 規模 |
墳丘長200m 高さ19m(後円部) |
| 出土品 | 埴輪 |
| 築造時期 | 5世紀前半 |
| 被葬者 | (宮内庁推定)押坂彦人大兄皇子 |
| 陵墓 | 宮内庁治定「三吉陵墓参考地」 |
| 特記事項 | 全国第36位の規模[1] |
| 地図 | |

三吉陵墓参考地 拝所
新木山古墳(にきやまこふん)は、奈良県北葛城郡広陵町赤部にある古墳。形状は前方後円墳。馬見古墳群(中央群)を構成する古墳の1つ。
実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「三吉陵墓参考地」(被葬候補者:第30代敏達天皇皇子押坂彦人大兄皇子舒明天皇御父)として陵墓参考地に治定されている。
概要
宮内庁が三吉陵墓参考地として管理しているため、一般市民は立入ることは出来ない。
南北走向の低位丘陵から東へ派生する小支丘を利用して築造されている。墳丘の主軸はおおむね東西にあり、両くびれ部に造り出しが存在する。その形態は巣山古墳のものに似ている。濠の幅は後円部で18メートル、前方部で22メートルほどである。外堤は水田、畑の畦畔として残っており、幅約20メートル前後、高さは3メートル以上あったと考えられる[2]。
墳丘内に埴輪列が存在することが確かめられている。またこの古墳の出土遺物として宮内庁に勾玉、管玉、棗玉などが所蔵されている[2]。採集された方形透かしと有黒斑の円筒埴輪から、5世紀前半の築造と考えられる[2]。馬見古墳群中央群では最後の大型前方後円墳である[3]。
構造

空中写真(1979年)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。- 墳丘長:200メートル[2]
- 後円部
- 直径:117メートル
- 高さ:19メートル
- 前方部
- 幅:118メートル
- 墳丘(南東より)
- 墳丘(南西より)
- 墳丘(北より)
- 後円部側周濠
脚注
- ↑ 古墳大きさランキング(日本全国版)(堺市ホームページ、2018年5月13日更新版)。
- 1 2 3 4 河上邦彦 『大和葛城の大古墳群・馬見古墳群』 シリーズ「遺跡を学ぶ」026、新泉社、2006年
- ↑ 「大和の古墳Ⅰ」73頁
- ↑ “三吉石塚古墳・新木山古墳位置図” (PDF). 広陵町. 2017年12月25日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 観光 古墳 - 広陵町ホームページ