| 日目 | |
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文応元年4月28日 - 元弘3年/正慶2年11月15日 (1260年6月8日 - 1333年12月22日)[1] | |
| 号 | 蓮蔵房[1] |
| 生地 | 伊豆国[1] |
| 没地 | 美濃国[1] |
| 宗派 | 日蓮正宗・日蓮本宗・日蓮宗 |
| 寺院 | 要法寺・伊豆実成寺・保田妙本寺・小泉久遠寺・大石寺[1]・妙教寺 (栗原市)[2]・上行寺 (登米市)[2][要出典] |
| 師 | 日興[1] |
| 弟子 | 日道 ・日尊・日郷[1] |
| 廟 | 日蓮正宗下之坊 (富士宮市)・日蓮本宗實報寺 |
身延山にて日蓮に常随給仕していた[1]。日蓮門下の草創期において日興門流を率いた日興の高弟本六人の一人[1][5]。蓮蔵房[6][1]のちに新田郷阿闍梨[1]もしくは新田卿阿闍梨[7]・郷公日目[1]・卿公[8]と称す。現代の日蓮正宗大石寺では第三祖に列せられている[9][10][11][12]が、18世紀の書物には第二代との記述もある[注釈 1]。
尚、日蓮正宗大石寺では日目が京都へ向かう直前に南条家出身の日道へ法を相承したと主張しているが確たる証拠がなく、また保田妙本寺では日目の死に際に日郷へ相承したと主張している。当時の文献を見ると北山本門寺や奉行所等の判断は日郷側を支持している[要出典]。 日蓮本宗要法寺では日尊を4世としているが、日尊が血脈相承を受けたという主張をせず、あくまでも日目の直弟子であった日尊が京都に残って折伏功通を広めたという立場で4世として数えている[要出典]。
日目死去の地、伊吹山の東南麓の位置になる美濃垂井(岐阜県不破郡垂井町相川)に、日目庵という日蓮本宗寺院「日目上人茶毘所」が、相川の宿場南側「垂井の泉」の近くにある。茶毘の位置も相川土手の川沿いに位置する。
なお、日目庵を日目上人荼毘所とすることに異論があり、荼毘所と断定できる根拠は全く無く、垂井町府中近辺こそが荼毘された正しい場所とされている。[22]
日目は大石寺蓮蔵坊安置の本尊をはじめ曼荼羅本尊を数体しか書写していないが、これは日目が学頭職であり本尊は日興が書写していたためといわれている。
日目は逝去前に、もう一度人間に生まれ変わって京都での天奏を果たしたいという和歌がある。
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