旧別子(きゅうべっし)は愛媛県新居浜市の銅山峰嶺南にある過去に繁栄した別子銅山の跡である[1]。1691年に開坑され1916年に東平に採鉱本部が移されるまで別子銅山の中心地であった。ここでは、廃墟となった現在の姿を紹介する。 また、筏津坑(いかだづ こう)跡が整備され令和元年8月より観光できるようになったのでここで紹介する。

旧別子の概略図
延喜の端から全景を見下ろすと、かつて賑わった町が森に帰っている。

概要

登山口は海抜約800m、銅山峰は約1300m、高低差約500m道程約3.2kmの間に元禄時代から1916年(大正5年)までの225年間に渡る無数の産業遺産が眠っている。各所には当時の写真と説明の書かれた看板が整備されている。えひめ森林浴八十八ヶ所八十二番に銅山越えが選定されている。

新居浜市街から車で約20分でマイントピア別子さらに愛媛県道47号新居浜別子山線を約30分で駐車場(9台分)のある登山口に到着。そこから遊歩道を15分登ると円通寺の入口があり、さらに5分行き小足谷川を渡ると目の前にかつて小足谷集落があった地に着く。

嶺南・序盤

嶺南・中盤

嶺南・上部

嶺北・上部

一泊二食6000円(要予約 09027829340 11時から13時の間に連絡すること)

筏津坑

明治11年(1878)に開坑され、途中1901年から1916年の間休止はあったものの、昭和48年(1973)3月31日に当坑の終掘で全ての別子銅山の歴史が終わった。その後、別子保養センター筏津山荘が営業され、筏津坑も観光できていたが、平成24年3月31日で山荘は廃業され、しばらくは中に入れたが照明用の電気も切れて真っ暗なままであり閉鎖された。 照明設備や補強工事がされ、令和元年8月より無料で観光できるようになった。遊歩道を約100mほど奥に行くと2番坑(火薬庫)跡があり、その手前の岩壁はドリルの試し掘りをした穴が無数にある。山荘の跡地は東赤石山の登山者用の無料大駐車場となっている。

所在地:愛媛県新居浜市別子山筏津北緯33度50分51.79秒 東経133度23分4.49秒

参照

日浦通洞
所在地:愛媛県新居浜市別子山日浦北緯33度51分4.38秒 東経133度21分6.36秒
別子銅山概要図
図では主な坑道を示しているが、実際は鉱床に網の目のように採掘坑道が張りめぐされていて総延長は約700km、最下底部は海面下1020m(地表下約2000m、32番坑道準)[6]である。なお、第二通洞は1889年(明治22年)より開削したが3年後異常湧水により中止されたため図には入っていない。

脚注

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  1. ↑ 登山口にある表示による
  2. ↑ 現地案内看板より、以下も同様
  3. ↑ 「別子三〇〇年の歩み 明治以降を中心として」22ページ 住友金属鉱山株式会社 平成3年5月9日発行 を参照
  4. ↑ 別子銅山近代化産業遺産  http://nmh.hearts.ne.jp/MTM/guidebook/index.html を参照
  5. ↑ マイントピア別子本館2階の展示場の配布パンフレットを参照
  6. ↑ 「別子三〇〇年の歩み 明治以降を中心として」264ページ 住友金属鉱山株式会社 平成3年5月9日発行 を参照
  7. ↑ 銅の比重を8.95で計算すると65万tは一辺が41.72mの立方体になる

位置 = 北緯33度51分14.18秒 東経133度21分3.06秒 / 北緯33.8539389度 東経133.3508500度 / 33.8539389; 133.3508500 (旧別子)座標: 北緯33度51分14.18秒 東経133度21分3.06秒 / 北緯33.8539389度 東経133.3508500度 / 33.8539389; 133.3508500 (旧別子)

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