号「小龍景光」(国宝)。1322年。東京国立博物館 蔵。
太刀 長船景光、銘備前国長船住景光 延慶二年七月日。(重要美術品)。1309年。東京国立博物館蔵。

景光(かげみつ)は、鎌倉時代末期の備前国(岡山県)長船派(おさふねは)の刀工。

概要

備前国は古来刀剣の産地として名高く、現在の岡山県南部にあたる吉井川流域には長船派、畠田派、福岡一文字、片山一文字、吉井派などの刀工が鎌倉時代から室町時代にかけて存在した。長船派は現在の岡山県瀬戸内市長船町に居住した一派であり、景光は長光の子とされ、長船派の頭領であった。一派の祖である光忠、その子とされる長光に次ぐ3代目にあたる。作刀期は鎌倉時代最末期で、嘉元 4年(1306年)から建武元年(1334年)にかけての年紀を持つ作刀が現存する。兼光の父[1]。通称は左兵衛尉[2]。

作風

代表作

国宝

元亨2年は1322年。楠木正成所用と伝え「楠公景光」とも称する。長らく所在不明で幕末に大阪の農家で発見されたと伝わる。明治時代に山田浅右衛門家から明治天皇に献上され、第二次大戦後に現所蔵となった。磨り上られており、号の由来となった棒樋内に彫られた剣巻竜がハバキ元から顔を覗かせることから「覗き竜景光」の別名がある。刃文は腰刃が大きく乱れ、上は太直刃に丁子が混じるものとなる。
景光とその弟子ないし親族と思われる景政との合作になる太刀。長文の銘文によると、秩父(埼玉県)出身の播磨(兵庫県)の地頭であった大河原時基が嘉暦4年(1329年)長船から景光と景政を播磨国宍粟郡三方西(兵庫県宍粟市)に呼んで作刀させ、広峯神社(兵庫県姫路市)に奉納したものであることが知られる。刃文は景光が得意とした直刃小丁子乱れである。
元亨3年は1323年。刀身の指表には「秩父大菩薩」の文字、指裏には大威徳明王を表す梵字を彫る。「秩父大菩薩」は秩父神社(埼玉県秩父市)の祭神・妙見菩薩を指す。前期の国宝太刀とともに大河原時基の注文による製作で、後、上杉家に伝来し、上杉謙信が常に身近に置いたことから「謙信景光」の号がある。刃文は景光の得意とした片落互の目が顕著で、振袖茎となる。上杉家以来の拵え付。

重要文化財

永禄11年(1568年)、駿河侵攻に先立ち武田信玄より浅間大社に奉納された。刃長二尺五寸五分(約77.3cm)反り九寸三分(約2.8cm)直刃、生ぶ茎に目釘孔一つ。
『集古十種』にはこの太刀の拵えとして「総金物鍍金 鞘長三尺 塵地 柄八寸余 金打出鮫 萌黄三分糸巻 赤地錦包太刀緒 紅手貫緒」の糸巻太刀拵が記載されている。

文化庁による所在確認調査の結果、所在不明とされた物件については「所在不明」とした[4]。

その他

刀身の指表には「秩父大菩薩」の文字、指裏には大威徳明王を表す梵字を彫り、国宝指定の短刀と揃いで注文されたと推察される。刃文は片落ち互の目丁子。

脚注

  1. ↑ 三省堂大辞林. “景光”. コトバンク. 2017年12月10日閲覧。
  2. ↑ 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus (2015年). “景光”. コトバンク. 2017年12月10日閲覧。
  3. ↑ ウェブサイト「刀剣ワールド」に「一般財団法人刀剣ワールド財団(東建コーポレーション)にて保有の日本刀」として収録されている。
  4. ↑ 国指定文化財(美術工芸品)の所在確認の現況について(平成29年5月27日)、国指定文化財(美術工芸品)の所在確認の現況について(平成30年6月7日)

参考文献

関連項目

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