東儀和太郎

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東儀 和太郎
生誕 1910年11月11日
出身地 日本の旗 日本 東京都
死没 (1993-03-15) 1993年3月15日(82歳没)
ジャンル 雅楽
職業 雅楽師
担当楽器
著名な家族

東儀 和太郎(とうぎ まさたろう、1910年11月11日 - 1993年3月15日)は、日本の雅楽師。宮内庁式部職楽部楽長を務めた。篳篥・箏・和琴・右舞を専門とし、雅楽の演奏・伝承のほか、廃絶した楽曲や舞の復曲・復元、教育・普及に携わった[1]。

生涯

宮内省楽部から宮内庁楽部へ

1910年(明治43年)11月11日、東京に生まれた。父の東儀民四郎、弟の東儀博も雅楽師であった[1]。

1926年(昭和元年)に宮内省楽部の楽生となり、1933年(昭和8年)に同楽部本科を卒業して楽師となった[1]。戦前期には録音にも参加した。1934年(昭和9年)2月発売のコロムビア『邦楽傑作集第49輯 日本音楽史』には雅楽普及会による演奏が収録され、《久米歌》で和琴、管絃《蘭陵王》で篳篥、催馬楽《席田》で箏を担当した[2][3]。

戦後は小野雅楽会を通じて、作曲家松平頼則の雅楽研究にも協力した。松平は同会で東儀の協力を得ながら雅楽曲の五線譜化を進め、雅楽の音楽体系への理解を深めた[4]。明治学院大学に所蔵される松平頼則資料群には、1950年(昭和25年)4月17日付の東儀から松平への書簡が残されている[5]。

1957年(昭和32年)には、神社本庁指定書『新撰雅楽譜』を編集し、宗教文化研究所から刊行した[6]。

1959年(昭和34年)に宮内庁式部職楽部楽長補、1970年(昭和45年)に楽長となり、1976年(昭和51年)に退官した[1]。楽部では篳篥・箏・和琴・右舞を専門とした[1]。

国立劇場の開場後は、雅楽・声明・歌謡などの公演にも、演奏者・指導者・復曲者としてたびたび参加した[7]。1971年(昭和46年)の第11回雅楽公演では右方《還城楽》の舞人を務め、鞨鼓・三ノ鼓も担当しており、舞と打物の双方で出演した[8]。

教育と普及

1962年(昭和37年)から1978年(昭和53年)まで東京芸術大学講師を務め、1979年(昭和54年)にはアメリカ合衆国のウェズリアン大学客員教授を務めた。その後も小野雅楽会楽長、国立音楽大学講師などを務め、宮内庁楽部の外でも雅楽の教育と普及に携わった[1]。

祭祀舞に関する著作・教材も残しており、神社本庁から『祭祀舞』や『祭祀舞 舞譜楽譜』が刊行された[9]。

1980年(昭和55年)の国立劇場第2回雅楽鑑賞教室「雅楽の味わいかた」では、元宮内庁楽部楽長として解説を担当した[7]。

1981年(昭和56年)に勲五等瑞宝章を受章した[1]。1993年(平成5年)3月15日に死去した。82歳没[1]。

復曲・復元活動

《三十二相》

戦後に行われた雅楽や関連芸能の復曲・復元にも携わった。1966年(昭和41年)11月の国立劇場第1回声明公演では、声明曲《三十二相》と雅楽曲《散吟打毬楽》を組み合わせる演奏形態の復興が試みられた。声明部分の復元を片岡義道、管絃部分の復元を東儀が担当し、東儀自身も篳篥を演奏した[7]。国立劇場の舞台芸術教材では、中世以降長く断絶していた《三十二相》と《散吟打毬楽》の合奏形態を、片岡と東儀によって復興が試みられたものとして紹介している[10]。

《蘇合香》と《河南浦》

1975年(昭和50年)2月の第18回雅楽公演では、管絃大曲《蘇合香》一具の復曲・指導を担当し、自ら鞨鼓を演奏した[7]。同年10月の第19回雅楽公演「大曲と稀曲の再興」では、《蘇合香》序の楽復元を担当した[11]。また《河南浦》では、寺内直子によれば、音楽を芝祐靖ら、舞を東儀が復元した[12]。国立劇場の公演記録では、東儀は翁・媼・雑仕の舞の再興を担当し、自ら司厨翁を舞った[11]。寺内はこの第19回雅楽公演について、国立劇場が、それまでほとんど演じられなくなっていた演奏方法や廃絶した楽曲の「復元」を初めて前面に押し出した公演と位置づけている[12]。《河南浦》は明治撰定譜には含まれず、古楽譜や故実をもとに復元された[13]。

歌謡・伎楽・現代作品

1977年(昭和52年)の国立劇場第2回歌謡公演では、『撰要目録譜』による宴曲について、和歌披講などの音楽理論に準拠した訳譜・指導を担当した[14]。

同年10月から11月に国立劇場で上演されたカールハインツ・シュトックハウゼン作曲の国立劇場委嘱作品《LICHT-HIKARI-LIGHT/DER JAHRESLAUF(歴年)》では、舞の振付を担当した。同じ第22回雅楽公演の第二部では鞨鼓奏者として出演した[15]。

1980年(昭和55年)の東大寺大仏殿昭和大修理落慶法要では、長く途絶えていた伎楽が復元された。佐藤浩司によれば、この復元では曲を芝祐靖、演技を東儀、装束を吉岡常雄が担当し、小泉文夫と笠置侃一が監修した[16]。

著作

演奏・教育活動と並行して、雅楽の歴史、演奏法、楽人、楽器、舞などについて著述した。1968年(昭和43年)、ウィリアム・P・マーム(英語版)との共著『雅楽』を〈日本の伝統〉第7巻として刊行した[17]。塚原康子は、多忠龍や芝祐泰らの著作とともに同書を取り上げ、宮内省・宮内庁の楽部に奉職した楽師によって、雅楽伝承の内側から自身や父祖の経験が記述された資料の一つとして位置づけている[18]。1971年にはケニー・ドナルド・ユージン訳、マーム序文による英語版 Gagaku: Court Music and Dance が刊行された[19]。

1970年(昭和45年)の芸能史研究会編『日本の古典芸能 2 雅楽―王朝の宮廷芸能』では、東儀信太郎と共同で「雅楽曲の作法」を執筆した[20]。

國學院大學日本文化研究所の『日本文化研究所紀要』では、1973年(昭和48年)に「〈神道要語集(二十二)〉れいじん(伶人)」、1977年(昭和52年)に「〈神道要語集(二十八)〉雅楽器」を発表した[21]。

1974年(昭和49年)には、和歌文学会編『和歌文学の世界 第二集』に「歌謡と雅楽」を寄稿した[22]。

舞譜の記録にも取り組み、1973年の小野雅楽会機関誌『雅楽界』第51号には「右舞譜『還城楽』(下)」を発表した[23]。

主な著作・論考

  • ウィリアム・P・マーム(英語版)・東儀和太郎『雅楽』淡交新社〈日本の伝統 7〉、1968年。
    • Masataro Togi, Gagaku: Court Music and Dance, translated by Don Kenny, introduction by William P. Malm, Weatherhill・Tankosha, 1971.
  • 東儀信太郎・東儀和太郎「雅楽曲の作法」芸能史研究会編『日本の古典芸能 2 雅楽―王朝の宮廷芸能』平凡社、1970年。
  • 東儀和太郎「〈神道要語集(二十二)〉れいじん(伶人)」『日本文化研究所紀要』第31輯、國學院大學日本文化研究所、1973年、118–124頁。
  • 東儀和太郎「右舞譜『還城楽』(下)」『雅楽界』第51号、小野雅楽会、1973年。
  • 東儀和太郎「歌謡と雅楽」和歌文学会編『和歌文学の世界 第二集』笠間書院、1974年。
  • 東儀和太郎「〈神道要語集(二十八)〉雅楽器」『日本文化研究所紀要』第40輯、國學院大學日本文化研究所、1977年、64–86頁。

楽譜の編纂・監修

雅楽の教授・普及に用いる楽譜の編纂・監修にも携わった。1957年(昭和32年)には、宗教文化研究所から刊行された神社本庁指定書『新撰雅楽譜』を編集した[6]。

1961年(昭和36年)には、神楽歌《其駒》を和琴・笛・篳篥の譜によって示した『其駒―雅楽譜』を監修し、芸大雅楽研究会から刊行した[24]。

1977年から1978年にかけては、小野雅楽会から刊行された『明治撰定雅楽譜』を編集した[25]。

また、小野亮哉編の『龍笛譜』『鳳笙譜』を監修した。1977年刊の『龍笛譜』には、東儀作曲の《誄歌》《追慕歌》が収録された[26]。

主な編纂・監修楽譜

栄典

脚注

出典

  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 “東儀和太郎”. コトバンク. DIGITALIO. 2026年9月10日閲覧。
  2. ↑ 福田 2016, p. 155.
  3. ↑ “資料展示の記録・解説「SPレコードレーベルに見る 日蓄-日本コロムビアの歴史」”. 日本伝統音楽研究センター. 京都市立芸術大学. 2026年9月18日閲覧。
  4. ↑ 田中 2018, p. 119.
  5. ↑ 那須 2024, p. 94.
  6. 1 2 “及川尊雄旧蔵 紙媒体資料目録”. 東京文化財研究所無形文化遺産部 (2022年3月). 2026年9月10日閲覧。
  7. 1 2 3 4 “人名:東儀 和太郎”. 文化デジタルライブラリー. 日本芸術文化振興会. 2026年9月10日閲覧。
  8. ↑ “第11回雅楽公演”. 文化デジタルライブラリー. 日本芸術文化振興会. 2026年9月10日閲覧。
  9. ↑ “蔵書 一覧表示”. 岡山県神社庁. 岡山県神社庁. 2026年9月9日閲覧。
  10. ↑ “雅楽”. 文化デジタルライブラリー 舞台芸術教材「声明」. 日本芸術文化振興会. 2026年9月10日閲覧。
  11. 1 2 “第19回雅楽公演”. 文化デジタルライブラリー. 日本芸術文化振興会. 2026年9月18日閲覧。
  12. 1 2 寺内 2007, p. 59.
  13. ↑ 寺内 2007, pp. 59–60.
  14. ↑ “第2回歌謡公演”. 文化デジタルライブラリー. 日本芸術文化振興会. 2026年9月10日閲覧。
  15. ↑ “第22回雅楽公演”. 文化デジタルライブラリー. 日本芸術文化振興会. 2026年9月9日閲覧。
  16. ↑ 佐藤 2012, p. 13.
  17. ↑ “雅楽”. CiNii Books. 国立情報学研究所. 2026年9月9日閲覧。
  18. ↑ 塚原 2009, p. 10.
  19. ↑ “Gagaku : court music and dance / by Masataro Togi, translated by Don Kenny, with an introduction by William P. Malm” (英語). Smithsonian Institution. 2026年9月18日閲覧。
  20. ↑ “日本の古典芸能 2”. 国立国会図書館サーチ. 国立国会図書館. 2026年9月10日閲覧。
  21. ↑ “日本文化研究所紀要”. 國學院大學. 2026年9月10日閲覧。
  22. ↑ “刊行物”. 和歌文学会. 2026年9月10日閲覧。
  23. ↑ 東儀和太郎「右舞譜「還城楽」(下)」『雅楽界』第51号、小野雅楽会、1973年。
  24. ↑ “其駒 : 雅楽譜”. CiNii Books. 国立情報学研究所. 2026年9月10日閲覧。
  25. ↑ “日本音楽についての文献案内―雅楽・古代歌謡”. お茶の水女子大学附属図書館. 2026年9月10日閲覧。
  26. ↑ “龍笛譜”. 東京藝術大学附属図書館 OPAC. 東京藝術大学. 2026年9月10日閲覧。

参考文献