| ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||||
| 愛称 | アズさん | |||||
| カタカナ | アズマ ヒロキ | |||||
| ラテン文字 | AZUMA Hiroki | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
| |||||
| 生年月日 | 1982年4月28日(42歳) | |||||
| 出身地 | 京都府 | |||||
| 身長 | 163cm[1] | |||||
| 体重 | 62kg[1] | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | DF | |||||
| ユース | ||||||
| 1998-2000 2001-2004 |
京都パープルサンガユース 阪南大学 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 2005 | 愛媛しまなみFC | |||||
| 2006 | FC Mi-OびわこKusatsu | |||||
| 監督歴 | ||||||
| 2008 | MIOびわこ草津 | |||||
| 2011-2014 | MIOびわこ草津 / MIOびわこ滋賀 | |||||
| 2022 | MIOびわこ滋賀 | |||||
|
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
主にサイドバックでプレー。
京都パープルサンガユース、阪南大学を経て、2005年に四国サッカーリーグの愛媛しまなみFC(現・FC今治)に加入。背番号は2。 その後、「仕事が忙しくサッカーに全然集中できなかった」ため、1年で同チームを辞める。
2006年に、佐川急便京都サッカー部を母体として滋賀県に移転したばかりのFC Mi-OびわこKusatsu(現・MIOびわこ滋賀)に移籍。背番号は6。
2006年に現役を引退し、2007年よりFC Mi-OびわこKusatsuのコーチに就任。中尾幸太郎、戸塚哲也、平岡直起と監督が変わる中、選手と監督のつなぎ役として貢献する。
チームがJFLに昇格した2008年9月に平岡直起の解任を受け、チームの監督代行に就任する。代行とはいえ、26歳(当時JFL最年少監督)、C級指導者ライセンスでのJFL監督就任は異例といえる。9試合を指揮し、2勝2分5敗。守備が崩壊していたチームを、終盤5試合は4失点と立て直した。
2009年、和田治雄の監督就任に伴い、再びコーチへ。この年に日本サッカー協会公認B級指導者ライセンスを取得。
2010年10月、和田治雄の解任を受け、再び監督代行に就任。6試合を指揮し、5勝1分。残留争いをしていたチームは優勝決定直後のガイナーレ鳥取を5-0で破るなど無敗でJFL残留を成し遂げた。
2011年も引き続き監督を続投。初めて年間を通して指揮するも、前年から多くの選手が入れ替わったチームは苦戦。チーム歴代最多の65失点を喫し13位。
2012年は、運動量の多いハイプレス戦術が浸透し、8位でシーズンを終えた。
2014年7月、MIOびわこ滋賀監督を退任し、同クラブ強化部長補佐兼任コーチに就任[2]。
2022年10月、大槻紘士監督の解任に伴い、MIOびわこ滋賀監督に三度目の就任[3]。
2023年1月31日、MIOびわこ滋賀から改称したレイラック滋賀FCのアシスタントコーチに就任した[4]。
未登録
IPFS未登録
📡 0ピア
N=1
CRITICAL
PQS C57