桂元次

ウィキペディアから、無料の百科事典
 
桂 元次
時代 戦国時代
生誕 天文7年(1538年)
死没 永禄12年5月21日[1](1569年6月5日)
別名 通称:少輔七郎
戒名 玉山元宝[1]
主君 毛利隆元→輝元
氏族 大江姓毛利氏庶流桂氏
父母 父:桂就延[1]
子 真誉長清(桂元盛室)
養子:元盛(桂元澄の六男)
テンプレートを表示

桂 元次(かつら もとつぐ)は、戦国時代の武将。毛利氏の家臣。父は桂就延。婿養子に桂元盛。通称は少輔七郎。

生涯

天文7年(1538年)、毛利氏庶流の重臣である桂就延の嫡男として生まれる[1]。

弘治2年(1556年)4月14日、父・就延が死去したため、家督を相続する[1]。

永禄8年(1565年)9月27日、八幡宮社頭の上葺について大施主を務めた[2]。なお、この時の棟札には「大江元次」の名前で記されており、武運長久、恵命長遠、子孫繁昌、家門安全を願っている[2]。

永禄12年(1569年)5月21日、在番していた豊前香春岳城において病死[1]。享年32[1]。元次に男子はいなかったため、桂元澄の六男で元次の長女・真誉長清と婚姻した桂元盛が婿養子として家督を相続した[1]。

文化15年(1818年)、元次の250回忌の法要が執り行われる[3]。

脚注

注釈

    出典

    参考文献

    • 北原進『長州藩士桂家文書』立正大学経済研究所〈研究叢書9〉、1979年3月。全国書誌番号:79031161。 国立国会図書館デジタルコレクション
    • 山口県文書館 編『山口県内所在史料目録 第19集』山口県文書館〈山口県文書館地方調査員調査報告〉、1992年3月。全国書誌番号:92059786。 国立国会図書館デジタルコレクション