楊崇祖

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楊 崇祖(よう すうそ、生没年不詳)は、中国の南北朝時代の仇池氐の首長。陰平王。

経歴

楊炅の子として生まれた。496年、父が死去すると、南朝斉の明帝により仮節・都督沙州諸軍事・征虜将軍・平羌校尉・沙州刺史に任じられ、陰平王に封じられた[1]。

崇祖が死去すると、子の楊孟孫が立った[2]。

脚注

  1. ↑ 『南斉書』氐楊氏伝による。崇祖が沙州刺史となり、陰平王に封じられたことは、同書明帝紀建武3年春正月丁卯の条にも見える。
  2. ↑ 『梁書』諸夷伝