樋口龍温
樋口 龍温(樋口 竜温、ひぐち りゅうおん、1800年5月〈寛政12年4月〉 - 1885年〈明治18年〉7月12日)は、江戸時代後期から明治時代にかけての真宗大谷派の僧、仏教学者。京都・円光寺(真宗大谷派)第12代住職。字は雲解。号は香山院[1]。東本願寺の護法場でキリスト教研究を行い、カトリックとの違いを明確に認識したうえで、プロテスタントの興隆が西洋社会の困窮者存在を解消したと理解・評価して宗門の改革に活かすことを企図した[2]。
生涯
1800年5月(寛政12年4月)、陸奥国会津(現・福島県)に生まれた。東本願寺の高倉学寮に入り、徳竜に師事した。のちに近江国(現・滋賀県)の園城寺(三井寺)や京都の智積院などに遊学して学識を深めた後、京都・円光寺の住職となった。高倉学寮では雲英猶龍(後の関信三)らを指導した[1][2]。
幕末期の東本願寺において、排耶論(破邪学、反キリスト教運動)や防化の拠点となった「護法場」で講師を務めた。龍温はキリスト教に対抗するためにはその正しく深い理解が必要不可欠であると考え、独自に西洋文献や漢文聖書などの関連資料を収集・研究した[2]。
その研究の過程で、従来の日本における反キリスト教論において混同されがちであった「天主教(カトリック)」と「耶蘇教(プロテスタント)」を明確に峻別した。特にプロテスタントについては、宗教改革以降の興隆によって西洋社会における社会的困窮者の存在が解消されたと理解・評価した。そのうえで「耶蘇教からも積極的に学ぶべきところは学ぶ」姿勢を示し、その長所を摂取して真宗宗門の改革に活かすことを企図した[2]。
関連出来事
2017年6月、龍温がかつて住職を務めた京都市左京区の円光寺(真宗大谷派)にて、約160年前の漢文聖書『代表訳本』(1855年刊・旧約新約合冊)が発見された。これは龍温が幕末のキリスト教研究のために個人で入手したものと見られており、特に旧約部分は香港の印刷所「香港英華書院」で印刷された初版本にあたる歴史的価値の高い資料とされる。この発見報道を受け、2018年3月に香港の中学校である香港英華書院の鄭鈞傑校長ら4人が円光寺を訪問した。同校では、1860年代まで、宣教師の養成やキリスト教の普及のため、学内の印刷所で漢文の聖書などの出版物を発行していた。訪れた関係者は、初版の代表訳本を確認して深い感銘を受けるとともに交流を深めた[3]。
主な著書
- 『愚禿鈔講義』