母里武兵衛

ウィキペディアから、無料の百科事典
 
母里 武兵衛
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 永禄12年(1569年)
主君 黒田職隆→黒田孝高
氏族 母里氏
父母

父:母里小兵衛

母:母里能登守の娘
兄弟 雅楽助義時
テンプレートを表示

母里 武兵衛 (もり ぶへえ、生年不詳-1569年)は、戦国時代の武将。黒田家の家臣である[1]。

略歴

永禄12年(1569年)、黒田氏と赤松政秀との間で起きた青山・土器山の戦いにおいて、先の戦で傷を負い満身創痍であった武兵衛は「これ程の傷を負ったものに出撃せよとは死ねということか」と官兵衛に反駁したが、「おそらくそうなるだろう」とだけ返された[要出典]。武兵衛は先頭を切って赤松軍に突撃し、奮戦の末、7本の槍で貫かれ討ち死にした。

脚注

  1. ↑ 黒田家譜

参考文献

  • 黒田家譜-第一巻(1982)

関連項目