毛利政苗

ウィキペディアから、無料の百科事典
 
毛利政苗
時代 江戸時代中期
生誕 享保3年2月21日(1718年3月22日)
死没 天明元年7月23日(1781年9月11日)
改名 竹之助(幼名)、匡平(初名)、政苗
別名 刑部少輔(通称)、覚翁(号)
戒名 大原院覚翁了照
墓所 山口県下関市清末の高林寺
官位 従五位下讃岐守
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗、家重、家治
藩 長門清末藩主
氏族 毛利氏
父母 毛利匡広(元平)、性善院
兄弟 平姫、演暢院、師就、政苗、広定、重就、増山正贇、平野長喜養女ら
妻 松平忠雅娘光相院
松井氏、妙心院、尾坂氏、中川氏、今井氏
子 元貞、匡邦、毛利広圓正室、冷泉為栄室、織田輔宜継室、戸川逵恒正室、桂厳院ら
テンプレートを表示

毛利 政苗(もうり まさなり)は、長門国清末藩3代藩主。諱ははじめ父・毛利元平(匡広)の名前より字を取って匡平(まさひら)、のち政苗に改めた。

経歴

享保3年(1718年)2月21日、第2代藩主・毛利元平の七男として生まれる。同年のうちに父は長府藩毛利家を継ぎ、匡広と諱を改めた。享保14年(1729年)、父の死去により、長府藩主を継いだ兄の師就から1万石を分与され、前述の通り生まれた頃(享保4年(1719年))から断絶していた清末藩を再興させ、その第3代藩主となった。享保15年(1730年)12月に叙任する。しかし度重なる風水害により、藩財政は悪化した。安永4年(1775年)7月29日、七男・匡邦に家督を譲って隠居し、覚翁と号した。天明元年(1781年)7月23日、清末にて死去した。享年64。

系譜

  • 父:毛利匡広(元平)(1675-1729)
  • 母:性善院 - 飯田氏
  • 正室:光相院(1723-1746)- 松平忠雅の娘
  • 側室:浄照院 - 今井氏
    • 長男:万之助(1736-1737)
    • 次男:幾三郎(1737-1738)
    • 長女:道子(1739-1803) - 毛利広圓正室
    • 次女:能登子(1743-1766) - 冷泉為栄室
  • 側室:尾坂氏
    • 四男:源之助(1746-1754)
    • 四女:兼子(1748-1772) - 戸川逵恒正室
    • 六男:豊五郎(1757-1759)
  • 側室:中川氏
  • 側室:松井氏
    • 五女:庫子(1754-1772) - 桂厳院、池田政直正室
  • 側室:妙心院 - 平井氏
    • 六女:清子(1758-1759)
    • 七男:毛利匡邦(1761-1832)