水引村

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水引村(みずひきむら)は、鹿児島県にあった自治体。

  • 1891年の二村分割以前の水引村についてはこの項目の「#町村制施行から分割まで」を参照。
  • 1891年の二村分割以後に西水引村となり、その後水引村に改称した自治体についてはこの項目の「#分割以降」を参照。
  • 1891年の二村分割以後に東水引村となり、その後平佐村、隈之城村と合併し、川内町となった自治体については「東水引村」を参照。

町村制施行から分割まで

みずひきむら
水引村
廃止日 1891年8月8日
廃止理由 分割
水引村 → 東水引村、西水引村
現在の自治体 薩摩川内市
廃止時点のデータ
国 日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 鹿児島県
郡 高城郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 10,091人
(1889年12月31日)
隣接自治体 高城郡高城村、薩摩郡高江村、隈之城村、下東郷村、平佐村
水引村役場
所在地 鹿児島県高城郡水引村大字宮内字麓
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水引村(みずひきむら)は鹿児島県の北西部、高城郡にあった村。

網津にある石灰工場の収益の独占を狙い、網津地区民より分村問題が発生し、1891年(明治24年)4月に東水引村と西水引村に分割されたことにより自治体としては消滅した[1]。また、#分割以降で説明する水引村は二村分割の際の西水引村にあたる。

概要

川内平野の中央部、川内川の下流の北岸にあった。大字は網津、草道、小倉、五代、宮内、大小路の6大字から構成されており、現在の薩摩川内市網津町、港町、水引町、湯島町、小倉町、五代町、宮内町、上川内町、御陵下町、大王町、花木町、若葉町、大小路町、国分寺町、東大小路町の全域および原田町の一部に当たる。

沿革

江戸時代頃は薩摩藩の行政区域であった「水引郷」に属していた村が水引村となり、江戸期より地頭仮屋は宮内村に置かれ、町村制施行後、地頭仮屋跡に村役場が設置された。

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、網津村、草道村、小倉村、五代村、宮内村、大小路村が合併し、水引村が成立。
  • 1891年(明治24年)8月8日 - 大字網津、草道、小倉の区域が「西水引村」となり、大字大小路、宮内、五代の区域が「東水引村」に解体分割された[2]。

行政

  • 村長:浜田幸雄(1901年 - 1901年4月)

歴代村長

町村制施行以降の村長を記載する。『川内市史 下』170頁の表記に基づく。但し、旧字体については新字体に置換えるものとする。

代氏名就任期間
初代村長永里隆基1889年 - 1901年
二代村長浜田幸雄1901年 - 1901年4月

分割以降

みずひきむら
水引村
廃止日 1951年4月1日
廃止理由 編入合併
川内市、水引村 → 川内市
現在の自治体 薩摩川内市
廃止時点のデータ
国 日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 鹿児島県
郡 薩摩郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 28.7[3] km2.
総人口 6,880人
(国勢調査、1950年)
隣接自治体 川内市、高江村、下東郷村、高城村
水引村役場
所在地 鹿児島県薩摩郡水引村大字草道5345-2
座標 北緯31度50分59秒 東経130度14分38秒 / 北緯31.84964度 東経130.24378度 / 31.84964; 130.24378座標: 北緯31度50分59秒 東経130度14分38秒 / 北緯31.84964度 東経130.24378度 / 31.84964; 130.24378
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水引村(みずひきむら)は鹿児島県の北西部、薩摩郡にあった村。1951年(昭和26年)4月1日に川内市に編入されたのに伴い、自治体としては消滅した。

ここでは上記の水引村から分割された西水引村及び西水引村が改名した後の水引村について解説する。

概要

川内平野の中央部、川内川の下流北岸に位置していた。大字は網津、小倉、草道の3大字から構成されており、現在の薩摩川内市網津町、港町、水引町、湯島町、小倉町にあたる。

村域内の網津には石灰工場が所在しており、網津地区民はこの工場の利益独占を図り分村問題を起こし、1891年(明治24年)には水引村は網津、小倉、草道の3大字が西水引村となり、その他の区域は東水引村に解体分割されることとなった。

沿革

地域

教育

中学校
小学校
  • 水引村立水引小学校

行政

歴代村長

町村制施行以降の村長を記載する。『川内市史 下』169頁から170頁の表記に基づく。但し、旧字体については新字体に置換えるものとする。

代氏名就任期間
初代村長緒方維則1889年 - 1893年
二代村長塚元淳一1893年 - 1894年
三代村長小田原秀大1895年 - 1896年
四代村長村尾重一1896年 - 1900年
五代村長塚元淳一1900年 - 1913年
六代村長高木正七1913年 - 1921年
七代村長山本精一1921年 - 1925年
八代村長浜田豊吉1925年 - 1929年

人口

以下の人口遷移表は『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』の503頁及び597頁の記述に基づく。

凡例
人口(人)
1902年 3,437
1921年 4,980
1950年 6,880

交通

道路

一般国道

鉄道

脚注

  1. ↑ 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.597
  2. ↑ 鹿児島県告示第115号 https://dl.ndl.go.jp/pid/1087308/1/357
  3. ↑ 『川内市史 下』川内市 p.137
  4. ↑ 鹿児島県告示第115号 https://dl.ndl.go.jp/pid/1087308/1/357
  5. ↑ 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.503
  6. ↑ ウィキソース出典 昭和27年2月22日総理府告示第34号『市村の廃置分合 (昭和27年総理府告示第34号)』。ウィキソースより閲覧。

関連項目