水野勝進

ウィキペディアから、無料の百科事典
 
水野勝進
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 文化14年11月28日(1818年1月4日)
死没 明治6年(1873年)12月21日
改名 六平(幼名)、勝進
別名 藤十郎(通称)
墓所 東京都港区三田の常林寺
官位 従五位下、左衛門尉、日向守、摂津守
幕府 江戸幕府日光祭礼奉行、大坂城勤番
主君 徳川家斉→家慶→徳川家定定→家茂
藩 下総結城藩主
氏族 水野氏
父母 父:水野勝愛、母:青山幸完娘
兄弟 勝周、勝進、勝彬、松平信篤室、水野勝充室
妻 婚約者:成瀬正壽の娘
正室:親寚の3女
継室:植村家教の娘
子 勝寛(次男)、
養子:勝任(水野忠央次男)
テンプレートを表示

水野 勝進(みずの かつゆき)は、下総結城藩の第8代藩主。水野宗家13代。

生涯

文化14年(1817年)11月28日、第7代藩主水野勝愛の四男として江戸赤坂の藩邸で生まれる。兄が早世したため、世子に指名され、天保4年(1833年)12月16日に従五位下、左衛門尉に叙位・任官する。天保6年(1835年)5月21日、父の隠居で家督を継ぐ。6月5日に日向守に遷任する。

その後は日光祭礼奉行、大坂城勤番などの諸役を歴任し、天保11年(1840年)からは農村復興を主とした藩政改革に着手している。安政6年(1859年)5月6日、病気を理由に家督を養子の勝任に譲って隠居し、摂津守に遷任する。

しかし戊辰戦争で第10代藩主・水野勝知(勝任の養子で、陸奥二本松藩の第9代藩主・丹羽長富の子)が新政府と敵対したことから、官位を剥奪された。勝知が処罰された後、実子の勝寛を新藩主として擁立している。

明治6年(1873年)12月21日に死去した。享年57。

系譜

父母

正室、継室

婚約者

子女

養子