江連堯則

ウィキペディアから、無料の百科事典
後列左端の人物が江連堯則。後列左から石川重敬、勝海舟、松平太郎。前列左からロバート・ヴァン・ヴォールクンバーグ(アメリカ公使)、稲葉正巳、大関増裕。

江連 堯則(えづれ あきのり/えづれ たかのり、生没年不詳)は、江戸時代の武士(幕臣)。官途は加賀守。通称は真三郎。妻は榎本武揚の妹、うた。

経歴

江戸に生まれる。原半左衛門[注釈 1]の弟で江連家の養子となる[1]。目付から外国奉行となり、元治元年(1864年)8月英・仏・米・蘭の四国艦隊下関砲撃事件や密貿易事件等で英、仏、米公使と折衝した。慶応4年4月5日(1868年4月27日)開成所頭取[1]となるが1週間で役替となる。徳川家、静岡移封に際して静岡に移住した。

維新後は東京府東多摩・南豊島郡長を務めた。

脚注

注釈

  1. ↑ 志村源一郎と千人隊之頭時代の同僚。『幕末維新期の社会的政治史研究』457頁。

出典

  1. 1 2 『幕末維新期の社会的政治史研究』457頁。

参考文献

  • 『ブリタニカ国際大百科事典』
  • 宮地正人『幕末維新期の社会的政治史研究』岩波書店、1999年。

関連項目