決着 (1967年の映画)

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決着
監督 石井輝男
脚本
出演者
音楽 八木正生
撮影 稲田喜一
編集 鈴木寛
製作会社 東映東京撮影所
配給 東映
公開 日本の旗 1967年5月20日
上映時間 88分
製作国 日本の旗 日本
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『決着』(おとしまえ)は、1967年5月20日に公開された日本映画[1][2][3]。主演:梅宮辰夫、監督:石井輝男による東映任侠映画[2][3]。

出演者

スタッフ

製作

岡田茂東映プロデューサーが1963年の『人生劇場 飛車角』の大ヒットをきっかけに任侠路線を敷き[5]、鶴田浩二と高倉健がスターダムにのし上がった[6][7]。任侠路線はこの二人を二枚看板に長く人気を保ったが、しかしあまりに二人が出過ぎで[8]、岡田はいつまでも鶴田・高倉では早晩お客も飽きるだろう危惧し[9][10]、鶴田・高倉に次ぐ、任侠スター3人目の男として任侠路線に加えたいと期待したのが梅宮辰夫だった[10][11]。外部から招聘したのが北島三郎、村田英雄である[6][10]。梅宮は東映東京撮影所で「夜の青春シリーズ」等の"東京夜の風俗路線"で東映の主演スターになり[12][13]、既にA面と併映されるB面のエース格ではあったが[13]、東映の生え抜きスターでもあり、A面でも主役を張って欲しいと考えた[10]。この方針により、梅宮主演で製作された任侠第一弾が『花札渡世』で、本作は二作目にあたる。

石井輝男監督が「網走番外地シリーズ」の8作目『網走番外地 決斗零下30度』と9作目『網走番外地 悪への挑戦』の間に撮った映画で[4]、石井監督にとっては、本格的な任侠映画は1963年の『昭和侠客伝』以来となる[4]。

撮影

石井監督は主役の梅宮辰夫より、石井組の常連・吉田輝雄と丹波哲郎寄りでドラマを作った[14]。

同時上映

『兄弟仁義 続関東三兄弟』

※「兄弟仁義シリーズ」第4弾

出典

  1. ↑ “決着”. 日本映画製作者連盟. 2026年5月23日閲覧。
  2. 1 2 “石井輝男キング・オブ・カルトの猛襲 作品解説3”. ラピュタ阿佐ヶ谷 (2019年). 2026年5月23日閲覧。
  3. 1 2 映画魂 1992, p. 332.
  4. 1 2 3 4 映画魂 1992, p. 329.
  5. ↑ 歴史|東映株式会社〔任侠・実録〕(Internet Archive)
  6. 1 2 「総説東映、新路線確立に終始/製作・配給界 東映」『映画年鑑 1967年版』1967年1月1日発行、時事通信社、221-222頁。
  7. ↑ 池田静雄東映宣伝部部長「強力鶴田・高倉路線 橋蔵久々平次で登場」『週刊映画ニュース』全国映画館新聞社、1967年1月1日、7面。
  8. ↑ 河上英一「芸能ジャーナル 俳優の過密スケジュール」『週刊読売』1966年1月7日号、読売新聞社、67頁。
  9. ↑ “〔娯楽〕 正月作品の製作急ピッチ 東映大映の京都撮影所 錦之助主演で『花と竜』―当分任侠路線の東映― 大映は勝と雷蔵が活躍”. 読売新聞夕刊. 読売新聞社. 1965年11月3日. p. 8.
  10. 1 2 3 4 「製作ニュースコーナー外貨を狙った怪獣映画ブーム」『映画時報』1967年1月号、映画時報社、26頁。
  11. ↑ 「東映=『遊侠三代』『893愚連隊』」『週刊映画ニュース』全国映画館新聞社、1966年5月21日、3面。
  12. ↑ 「北条きく子をあきらめた"軟派の梅宮"」『週刊明星』1966年3月13日号、集英社、86頁。
  13. 1 2 黒田邦雄「ドロンばかりがスターじゃない(4) 梅宮辰夫」『ムービーマガジン』1976年12月1日発行 Vol.9、ムービーマガジン社、25頁。
  14. ↑ 磯田勉「秘宝特選!全国名画座案内 『映画秘宝』が厳選してオススメする、全国名画座プログラムを紹介! 東京 シネマヴェーラ渋谷 甦る映画魂 The Legend of 石井輝男」『映画秘宝』2017年7月号、洋泉社、95頁。

参考文献

外部リンク