泗沘(しび、朝鮮語: 사비、サビ)は、古代朝鮮の百済の古都であり、現在の忠清南道扶餘郡にあたる。
第26代の聖王の16年(538年)に、それまでの国都熊津(忠清南道公州市)から泗沘に遷都し、百済滅亡の660年までの国都であり続けた。『三国史記』百済本紀には分注で一名として所夫里(そふり)とも記される。一方、同書の新羅本紀では本文中に所夫里・泗沘の名が見られ、同書の地理志では本文では所夫里、分注で泗沘と記される。この所夫里の表記については、「都」の意である서울(ソウル)につながる語であるとも考えられている[1]。
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