浅舞八幡神社

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浅舞八幡神社
浅舞八幡神社
所在地 秋田県横手市平鹿町浅舞字蒋沼125番地
位置 北緯39度15分35.95秒 東経140度29分29.28秒 / 北緯39.2599861度 東経140.4914667度 / 39.2599861; 140.4914667 (浅舞八幡神社)座標: 北緯39度15分35.95秒 東経140度29分29.28秒 / 北緯39.2599861度 東経140.4914667度 / 39.2599861; 140.4914667 (浅舞八幡神社)
主祭神 誉田別尊
社格等 県社
創建 天平12年(740年)(社伝)
本殿の様式 一間社流造
例祭 9月15日
主な神事 秋季例祭(9月)
地図
浅舞八幡神社の位置(秋田県内)
浅舞八幡神社
浅舞八幡神社
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浅舞八幡神社(あさまいはちまんじんじゃ)は、秋田県横手市平鹿町浅舞にある神社。旧社格は県社。本項では祭祀などを通じて関係が深く神社に隣接している忠猫神社についても詳述する。

歴史

浅舞八幡神社の創建は、社伝によれば天平12年(740年)とされる。浅舞の開拓に伴い、地域の守護神として八幡神を祀ったのが始まりと伝えられている。戦国期には当地を支配した小野寺氏との関係が深まり、元亀年間(1570年 - 1573年)にはその守護神として崇敬された。江戸時代に入ると佐竹氏の保護を受け、寛保3年(1743年)には佐竹義峯によって社殿が改築された[1][2][3][4]。

当初は浅舞城の裏鬼門にあたる場所に鎮座していたと伝えられる。旧社地は田の中にあり、参拝に不便であったことなどから移転が計画され、寛政12年(1800年)に現在地へ遷座した[1][2][3][4]。

遷座後の文久2年(1862年)には氏子によって拝殿と回廊が造営された。明治13年(1880年)には社殿の大規模な修繕と遷宮が行われ、現在につながる社殿の形式が整えられた。社格は明治5年(1872年)に郷社、明治19年(1886年)には県社に列せられた[1][2][3][4]。

旧社地は「浅舞の古八幡跡」として1979年(昭和54年)4月に当時の平鹿町の史跡に指定された。小祠と松があり、付近を八幡川が流れる[3][4]。

境内

1914年(大正3年)刊行の『秋田県勢振興論』では、境内について「堂後の蒼杉と社前の櫻樹と相掩映して森趣頗る雅麗である。清泉を湧して池沼をなし、紫藤長く垂れて鯉魚躍る」と描写しており、社殿背後の杉と社前の桜、泉からなる池、藤などがあったことが記されている[5]。また同書によれば、隣接する浅舞公園は1905年(明治38年)4月に開園し、数千株の桜が植栽されていた。街道へ通じる区間には桜が連なり、神社周辺は桜の名所として紹介されているとも記されており、神社と公園周辺の景色について記されていた[6]。

境内社

境内社として馬頭神社[2]がある。

祭事・祭典

祭事

浅舞八幡神社では年間を通して祭事が行われる。このうち9月の秋季例祭は「浅舞八幡神社祭典」と呼ばれ、宵祭りと本祭りの2日間にわたって行われる。祭典では神輿渡御や山車巡行、神楽の奉納などが行われる[7][8]。

神輿渡御と山車巡行

秋季例祭の神輿渡御では、祭神を遷した神輿が浅舞市街地を巡行する。巡行路には各町内の祭典事務所が設けられ、神輿の到着に合わせて町内や氏子の安全などを祈願する。山車巡行では、浅舞地区の各町内から「飾り山」「踊り山」と呼ばれる山車が出され、宵祭りでは神社への山車奉納も行われる[1][9]。

文化財

  • 横手市指定史跡
    • 浅舞の古八幡跡 - 1979年(昭和54年)4月指定[4]。

忠猫神社

忠猫神社
秋田県横手市にある忠猫神社
所在地 秋田県横手市平鹿町浅舞字蒋沼135番地
位置 北緯39度15分39.02秒 東経140度29分25.44秒
神体 忠猫の碑
創建 2024年(令和6年)6月
主な神事 猫の健康祈願、供養祭
地図
Japan Akita
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浅舞八幡神社に隣接して忠猫神社(ちゅうびょうじんじゃ)がある。地域団体「忠義な猫の会」が運営し、浅舞八幡神社の宮司が神事を執り行っている[10]。

2010年(平成22年)、浅舞公園にあった「忠猫」の碑の由来を調査した地域住民が、小学校教諭の簗瀬仁(やなせ・ひとし)に伊勢家に残された文書の解読を依頼し、猫にまつわる逸話を確認した[11][12]。

それによると明治期、浅舞の地主・伊勢多右衛門は雌猫を飼っていた。猫は多右衛門が備蓄していた救済用の米をネズミから守り、浅舞公園の造成時にもネズミやヘビを退治したと伝えられている。明治40年2月15日の猫の死後、その功績をたたえて「忠猫の碑」が建立された[13][10][14][12]。忠猫の名は当時の文献には記録されていない。後年、白と鼠色の二色の毛を持っていたとの伝承から、顕彰活動を行う「忠義な猫の会」によって「ニケ」と名付けられた[14][15]。

長く浅舞公園に置かれていた忠猫の碑は、地域住民による顕彰活動を経て、2016年(平成28年)に開館した「忠義な猫資料館」へ移設された。その後、同館は2024年(令和6年)6月に「忠猫神社」として改装され、碑をご神体として祀っている。毎月22日には猫の健康祈願や供養祭が行われている[10][14]。また忠猫は地域資源としても活用され、猫にちなんだ催事の開催や、「招福猫サブレ」「ペットお守り」などの関連商品の開発・販売が行われている[10]。

脚注

出典

  1. 1 2 3 4 “横手市歴史的風致維持向上計画” (PDF). 横手市. 2026年9月27日閲覧。
  2. 1 2 3 4 “八幡神社 | 秋田県神社庁”. » 八幡神社. 2026年9月27日閲覧。
  3. 1 2 3 4 “八幡神社の歴史”. あやめの里「はちまん様」. 2026年9月27日閲覧。
  4. 1 2 3 4 5 6 平鹿町史編纂委員会『平鹿町史』平鹿町、1984年9月1日、1117-1122頁。
  5. ↑ 秋田県振興会 編『秋田県勢振興論』秋田県振興会出版部、1914年、836-837頁
  6. ↑ 秋田県振興会 編『秋田県勢振興論』秋田県振興会出版部、1914年、763
  7. ↑ “(秋)浅舞八幡神社祭典|横手市公式サイト”. 横手市公式サイト. 2026年9月27日閲覧。
  8. ↑ 秋田県神社庁『秋田県神社名鑑』秋田県神社庁、1991年9月30日、393頁。
  9. ↑ 秋田県教育委員会『秋田の祭り・行事』秋田文化出版、2014年3月25日、123頁。
  10. 1 2 3 4 “【あきたの物語】毎月22日は「にゃんにゃんの日」猫の健康祈願と供養祭【秋田県横手市】”. kankei.a-iju.jp. 2026年9月27日閲覧。
  11. ↑ 簗瀬均「忠義な猫の碑」『秋田さきがけ新報』2010年11月8日、18面。
  12. 1 2 産経新聞 (2014年9月2日). “【みちのく昔話 伝説を訪ねて】忠義な猫(秋田・横手市平鹿町) 人々を守った命の番人”. 産経新聞:産経ニュース. 産経新聞. 2026年9月27日閲覧。
  13. ↑ 簗瀬均「忠義な猫の碑」『秋田さきがけ新報』2010年11月8日、18面。
  14. 1 2 3 “よこてFun通信” (PDF). 横手市 (2020年9月1日). 2026年9月27日閲覧。
  15. ↑ “ハンサン” (PDF). 秋田県企画振興部地域活力創造課 (2016年7月10日). 2026年9月27日閲覧。

外部リンク