浜田光正

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浜田光正
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都[1]荒川区
生年月日 (1938-07-23) 1938年7月23日(86歳)
騎手情報
所属団体 JRA
所属厩舎 東京・内藤精一(1957 - 1959)
東京・内藤潔(1963)
初免許年 1957年
免許区分 平地
騎手引退日 1963年
通算勝利 47戦2勝
調教師情報
初免許年 1982年(1984年開業)
調教師引退日 2009年2月28日
重賞勝利 19勝
G1級勝利 7勝
通算勝利 4609戦352勝
経歴
所属 騎手(1957 - 1959)
東京・内藤潔/調教助手(1959 - 1963)
騎手(1963)
栗東・内田繁三/調教助手(1963 - 1982)
栗東T.C.(1982 - 2009)
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浜田 光正(はまだ みつまさ、1938年7月23日[1] - )は日本の騎手(国営競馬、日本中央競馬会)、調教助手(日本中央競馬会)、調教師(日本中央競馬会)。

2009年に定年のため引退し、2012年現在は競馬評論家。栗東トレーニングセンター所属であった。

JRAにおける表記では浜田となっているが、濱田が正しい[2]。

略歴

東京都荒川区の千住大橋付近で生まれる[3]。競馬との出会いは1951年の東京優駿(日本ダービー)を父の友人である馬主に招待され観戦したことによるという。トキノミノルが優勝したこのレースを見たことをきっかけに騎手を目指すようになり、その馬主の紹介で18歳のときに騎手見習いとなった[4]。

1957年3月1日に騎手免許を取得し、東京競馬場の内藤潔厩舎所属でデビューした。同年に騎手デビューした同期には、武邦彦や増沢末夫、大久保正陽らがいる。

しかし、2勝を挙げたあとに肺と腎臓を患って入院。1年の闘病生活の末に回復したが、日本中央競馬会によって騎手免許更新を拒否されて1959年に調教助手に転身。1963年にふたたび騎手免許を取得した。しかしながら、騎手生活により身体にかかる負担は大きく、ふたたび病に倒れることを懸念した浜田は同年、ふたたび調教助手となった。やがて浜田は所属していた厩舎の調教師・内田繁三の勧めを受け、調教師試験を受験。9度目の挑戦で合格し、調教師となった。

調教師としては1990年代にビワハヤヒデやファレノプシスの活躍で全国区の知名度を得たが、晩年は一時成績が低迷し、メリットシステムの適用を受けて馬房数を削減されたこともある。2009年2月いっぱいで定年により引退。最晩年は悪性リンパ腫を患い闘病生活を送りながら調教師を続けた。引退後は競馬評論家として中日スポーツ・東京中日スポーツ紙上にて評論活動(日曜日の紙面のみ登場)を行っている。

人物

大変優しい人柄。ビワハヤヒデが活躍していた時期、ビワハヤヒデのぬいぐるみを胸に抱えながらインタビューに答えるなど、馬のことが好きで好きでたまらない性格が窺える。

騎手はおもに石山繁と渡辺薫彦を起用することが多かった。若手騎手を我慢強く起用する傾向があった。一時上村洋行を主戦騎手として起用していたが2007年になってから乗せなくなってしまった。勝負所では武豊を起用することもあった。かつては田原成貴や熊沢重文を主戦騎手としていた。

調教師成績

通算成績1着2着3着出走数勝率連対率
平地 3253323084432.073.148
障害 271523177.153.237
計 2523473314609.076.152
日付競走名馬名頭数人気着順
初出走1984年3月10日-ピカソボーイ--5着
初勝利1984年5月27日-ピカソボーイ--1着
重賞初出走1984年9月23日函館3歳Sダイナシャンティ16頭1415着
重賞初勝利1985年12月8日ラジオたんぱ杯3歳牝馬Sダイナカンパリー11頭41着
GI初出走1985年11月3日エリザベス女王杯サイコーロマン20頭1816着
GI初勝利1993年11月7日菊花賞ビワハヤヒデ18頭11着

代表管理馬

太字はGI競走

表彰

おもな厩舎所属者

  • 石山繁(騎手)
    • 石山は2007年にレース中の落馬事故で意識不明となり、浜田も大変なショックを受けたという。その後数か月にわたる懸命の治療により意識の回復への兆候が見られたことで石山の妻が「浜田先生が声をかければ夫は目を覚ますかもしれない」と申し出たため、浜田はベッドの石山に向かって「コラ石山!いつまで寝てるんだ!早く起きろ!」と一喝、すると石山は本当に目を覚まし、意識を取り戻したという(のちに石山はリハビリ後に退院した)。もちろん浜田はこのことに大喜びだった。しかし石山はレースへの復帰を果たすことなく、浜田の定年引退と同じ2009年2月いっぱいで騎手を引退した。
  • 清水久詞(調教助手)

脚注

  1. 1 2 “浜田光正のプロフィール|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2015年12月28日閲覧。
  2. ↑ JRAでは常用漢字表にない漢字は常用漢字に置き換えられるため。戸籍上の表記を採用する地方競馬全国協会のデータを参照のこと。
  3. ↑ 週刊ギャロップ 2012年1月8日号「名馬は一日にして成らず ビワハヤヒデ編」
  4. ↑ 2009年1月22日付中日スポーツ記事より
  5. ↑ “第23回デイリー杯3歳S(G2)”. netkeiba.com. 2015年12月28日閲覧。
  6. ↑ “第54回菊花賞(G1)”. netkeiba.com. 2015年12月28日閲覧。
  7. ↑ “第109回天皇賞(春)(G1)”. netkeiba.com. 2015年12月28日閲覧。
  8. ↑ “第35回宝塚記念(G1)”. netkeiba.com. 2015年12月28日閲覧。
  9. ↑ “第47回阪神3歳牝馬S(G1)”. netkeiba.com. 2015年12月28日閲覧。
  10. ↑ “第58回桜花賞(G1)”. netkeiba.com. 2015年12月28日閲覧。
  11. ↑ “第3回秋華賞(G1)”. netkeiba.com. 2015年12月28日閲覧。
  12. ↑ “第25回エリザベス女王杯(G1)”. netkeiba.com. 2015年12月28日閲覧。
  13. ↑ “第34回報知杯4歳牝馬特別(G2)”. netkeiba.com. 2015年12月28日閲覧。
  14. ↑ 「サークルだより『昭和49年度、調教師、騎手ら表彰』」『優駿』、日本中央競馬会、1975年2月、84頁。

関連項目

外部リンク