源高房

ウィキペディアから、無料の百科事典

源 高房(みなもと の たかふさ、生年不詳 - 承保4年9月13日(1077年10月2日))は、平安時代中期から後期にかけての貴族。醍醐源氏、但馬守・源行任の子。官位は正四位上・但馬守

経歴

後朱雀朝にて、左兵衛尉・左近衛将監と武官の判官(三等官)を務める。のち、巡爵により従五位下に叙せられ、加賀守として受領となった。永承6年(1051年)関白・藤原頼通の娘である藤原寛子が後冷泉天皇の皇后に冊立されると、高房は皇后宮大進(のち皇后宮亮)に任ぜられ、これに仕える。この間、備後守も兼ねている。

その後、後冷泉朝後期から白河朝前期にかけても、但馬守・丹波守など受領を歴任したほか、時期は不明ながら内蔵頭・宮内卿などの京官を務め、位階は正四位上に至る。

承保4年(1077年)9月13日卒去。最終官位は但馬守正四位上。

官歴

系譜

『尊卑分脈』による。

脚注

  1. 1 2 『春記』
  2. ↑ 『造興福寺記』
  3. ↑ 『栄花物語』36
  4. 1 2 3 『定家朝臣記』
  5. ↑ 『御即位記』『京極殿記』
  6. ↑ 『魚魯愚鈔』
  7. ↑ 『尊卑分脈』
  8. ↑ 『水左記』

参考文献