滝川直政
| 時代 | 江戸時代前期 |
|---|---|
| 生誕 | 慶長12年(1607年) |
| 死没 | 慶安元年10月30日(1648年12月14日) |
| 改名 | 浅野左門、滝川直政 |
| 別名 | 通称:与三右衛門(与惣右衛門) |
| 戒名 | 寒月 |
| 墓所 | 湯島の麟祥院 |
| 幕府 | 江戸幕府 小姓組、進物番 |
| 主君 | 徳川秀忠、家光 |
| 氏族 | 浅野氏、滝川氏 |
| 父母 |
父:浅野忠正、母:滝川忠征の娘 養母:滝川法直室(伊東祐兵の娘) |
| 兄弟 | 浅野忠直、浅野重利、滝川直政 |
| 妻 | 滝川法直の娘 |
| 子 | 女子(小堀太兵衛室)、征盛 |
滝川 直政(たきがわ なおまさ)は、江戸時代前期の旗本。幕臣から尾張藩に附属された滝川忠征の外孫で、祖父の養孫として幕臣としての地位を譲られた[1]。
生涯
慶長12年(1607年)、紀州藩重臣浅野忠正の三男[2]として紀伊国で生まれた[3]。父の忠正は浅野長政の叔父長季の孫で、藩主浅野幸長(長政嫡男)の又従兄弟に当たり、2000石を領した[4]。母は江戸幕府旗本で2010石余を領する滝川忠征の娘[1]。
幼少期に父が亡くなって兄が家督を継承し[4]、嫡男滝川法直に先立たれた外祖父の忠征に引き取られ、法直の娘婿とされた[1]。
元和2年(1616年)、忠征が徳川家康の遺命により徳川義直に附属されて尾張藩家老となるのに当たり、忠征がそれまで幕府直臣として領していた所領を譲ることを願われ、元和8年(1622年)に16歳で初めて将軍徳川秀忠に拝謁した[1]。『徳川実紀』、『寛政重修諸家譜』等の幕府の編纂史料では確認できないが、滝川家の系譜はこのとき小姓に任じられたとする[3]。寛永2年(1625年)、大御所秀忠から摂津国川辺郡・丹波国船井郡・美濃国加茂郡・近江国蒲生郡内に2010石余を安堵する朱印状を与えられ、忠征の旧領を正式に相続した[1]。
寛永3年(1626年)4月、小姓組となり[5]、5月から大御所秀忠の上洛に供奉した[6]。同年11月、進物番出役となる[1]。
系譜
参考文献
脚注
- 1 2 3 4 5 6 7 8 『寛政重脩諸家譜. 第4輯』國民圖書, 1923, p. 448.
- 1 2 名古屋市教育委員会編『名古屋叢書. 続編 第17巻 士林泝洄 第1』, 名古屋市教育委員会, 1966年, p. 121.
- 1 2 『諸家系譜』滝川・滝・滝野・滝村・立花.
- 1 2 林保登編『芸藩輯要 : 附・藩士家系名鑑』, 入玄堂, 1933, p. 101.
- ↑ 「大猷院殿御実紀」巻6. 寛永3年4月6日条(『徳川実紀. 第貳編』p. 66.)
- ↑ 「大猷院殿御実紀」巻6. 寛永3年5月28日条(『徳川実紀. 第貳編』p. 72-73.)
- ↑ 「大猷院殿御実紀」巻39. 寛永15年10月17日条(『徳川実紀. 第貳編』p. 506.)