スミソニアン博物館でチャールズ・ラング・フリーア・メダルを授与される田中一松(1973年5月2日)

田中 一松(たなか いちまつ、1895年12月23日 - 1983年4月19日)は、日本の美術史家である。

若年期と教育

山形県鶴岡市に生まれ、旧制中学校の山形県立荘内中学校、旧制高等学校の第一高等学校を経て、1918年に東京帝国大学文学部美学美術史学科に入学し、1923年に卒業した[1]。

キャリア

1924年から東京帝室博物館(現東京国立博物館)に勤務し[1]、文化財の調査研究・保護にあたった。1952年に東京文化財研究所美術部長、1953年に同所長となった。1964年に退任し、1965年から國華社主幹[2]、1977年から死去まで編集顧問を務めた。

田中は研究者としても精力的に活動した。1926年に古社寺保存計画調査嘱託、1935年に国宝保存に関する調査嘱託、1936年に重要美術品等調査委員会の臨時委員を務めた。1945年に文部省社会教育局の国宝保存に関する調査嘱託、1947年に文部技官任官。1950年からは、同年設置された文部省の外局である文化財保護委員会保存部美術工芸課に勤務した。1950年から1966年まで文部省文化財専門審議会専門委員を務めた。1958年から1959年にかけて、欧州巡回日本古美術展派遣団の団長としてヨーロッパに渡った。1966年から1977年まで、文部省文化財保護委員会委員を務めた[3]。1972年から1973年まで、高松塚古墳総合学術調査会副会長を務めた[1]。

晩年には、『國華』の主幹や編集顧問の傍ら、女子美術大学、日本大学、東北大学、早稲田大学、金沢美術工芸大学、東京大学で講師を務め、日本中国文化交流協会、中央美術学園、栃木県立美術館、根津美術館、畠山記念館、出光美術館、頴川美術館、山種美術館、致道博物館、博物館明治村、本間美術館などの役員を務めた[1]。

田中は、仏教美術、絵巻物、大和絵、水墨画、琳派、南画など、日本美術史の広い範囲に渡って執筆を行ったほか、宋・元時代の書画など中国美術についても執筆していた。

田中は生涯にわたり、日本絵画や中国絵画を中心として幅広い分野の美術品の調査を行った。没後25年となる2008年、田中の研究ノートや記録文書、写真資料などが遺族と出光美術館から文化財研究所に寄贈された。これらの多くは戦前のものであり、戦中に失われた多くの美術品に関する貴重な資料が含まれている[4]。

賞と栄誉

著書

共著編

脚注

  1. 1 2 3 4 5 “田中一松”. 東文研アーカイブデータベース. 2022年12月18日閲覧。
  2. ↑ デジタル版 日本人名大辞典+Plus
  3. ↑ “国会会議録検索システム”. Kokkai.ndl.go.jp. 2011年1月17日閲覧。
  4. ↑ 山梨絵美子. “田中一松資料の寄贈”. 東京文化財研究所. 2012年6月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月18日閲覧。
  5. ↑ "The Freer, at 50, Sets Special Show," New York Times. April 17, 1973; Freer Gallery of Art. (1973). Fourth presentation of the Charles Lang Freer Medal, May 2, 1973.

外部リンク

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