田中鉄太郎 (官僚)

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田中 鉄太郎(たなか てつたろう、1888年(明治21年)6月19日[1] - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の台湾総督府官僚。

経歴・人物

岐阜県岐阜市に生まれる[1]。1905年(明治38年)6月、名古屋商業学校を卒業後に渡台し、1913年(大正2年)5月、台中州南投郡巡査を拝命する[1]。1918年(大正7年)5月、普通試験に合格し、南投郡警部補、台湾総督府内務局地方課勤務を経て、1935年(昭和10年)9月、地方理事官に進み、台北州文山郡守に就任した[1]。

のち、台南州虎尾郡守、台中州員林郡守を歴任した[2][3]。

1940年(昭和15年)からは花蓮港市長を務めた[4]。

脚注

  1. 1 2 3 4 台湾新民報社 1937, 209頁.
  2. ↑ 『台湾総督府及所属官署職員録 昭和13年』、636頁。
  3. ↑ 『台湾総督府及所属官署職員録 昭和15年』、484頁。
  4. ↑ 『昭和17年用 日本都市年鑑』東京市政調査会、1942年、p.94。

参考文献