甲斐谷忍

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かいたに しのぶ
甲斐谷 忍
本名 貝谷 忍
生誕 (1967-09-24) 1967年9月24日(59歳)
日本・鹿児島県
職業 漫画家
活動期間 1994年 -
ジャンル 青年漫画
代表作 『ソムリエ』
『ONE OUTS』
『LIAR GAME』
受賞 第42回手塚賞準入選(『もうひとりの僕』)
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甲斐谷 忍(かいたに しのぶ、1967年9月24日 - )は、日本の漫画家。男性。代表作に『ソムリエ』・『ONE OUTS』・『LIAR GAME』がある。

略歴

生い立ち

鹿児島県鹿児島市出身で、鹿児島県立甲南高等学校を卒業後、鹿児島大学工学部電子工学科を卒業[1]。

小学2年生の夢は「漫画家」、小学4年生の頃は「アナウンサー」、中学生の頃は「ゲームプログラマー」、高校生の頃は「ミュージシャン」、大学生の頃は「大学教授」になるのが夢であった[2]。

大学時代は音楽バンド活動に熱中し、大学では情報処理工学を専攻してコンピュータ・プログラムを学ぶ[1]。大学時代は「バンド活動」に熱中していて、ミュージシャンになりたいと思っており、工学部に入ったのは「ミュージシャンになれなくても就職には困らないだろう」という理由だったと言う[1]。

当初、大学院に進学する意向であったが、大学院進学志願書の提出をしておらず、気付いたのは期限の3日後で、教授に頼み込むも「規則だから」と断られ、やむなく就職することになる[3]。

サラリーマン時代

大学卒業後、1990年に中越パルプ工業株式会社に入社[1]。研修後、富山の新工場に配属されたが、新人研修のときから「自分は会社員に向いてない」と感じていて、昔から「人から言われたことをやるのが苦手」だったと言う[1]。

会社員を辞めて何ができるかと考えたとき、小学2年生の頃の夢だったのが「漫画家」であったことや[4]、当時はマンガ雑誌が次々創刊されていたため「新人デビューしやすい」と思い、漫画家の道を選ぶ[1]。

その後、終業時刻に退社して家で睡眠をとり、夜中の12時に起きて出勤時刻まで描き続けるという生活を続けたが、「きついとは思わなかった」と言う。小学生の頃から絵を描くのは好きだったが、漫画のキャラクターを模写する程度で、コマ割りをした漫画を描いたのは初めてだったと言う[1]。

富山県高岡市に配属されていた時期に「ヤングマガジン月例賞」に投稿し、初投稿作が佳作受賞した。1991年の下半期に、週刊少年ジャンプの第42回手塚賞(ストーリー部門)に『もうひとりの僕』で準入選し、地元新聞が取材に来たため会社にバレたが、兼業禁止のところ会社側が仕事を両立できるよう取り計らい、同僚も応援してくれたという。その後、同僚たちに迷惑はかけられないと思い、会社を退職した[1]。

漫画家デビュー

その後、1993年に、「ヤングサンデー増刊 新人王」に読み切り作品『遠藤美子物語 静かなる挑戦者』で漫画家デビュー[1]。1994年に『週刊少年ジャンプ』(集英社)で開始した『翠山ポリスギャング』で連載デビュー。8号より28号まで連載されたが、同作はコミックス全2巻の短期連載に終わった。

2000年代

  • 2000年 - 『MANGAオールマン』1号より『太平天国演義』の連載を開始。しかし、『MANGAオールマン』の休刊(事実上の廃刊)により連載は中断される。その後2002年から2003年にかけてビジネスジャンプ増刊『BJ魂』にて単発的に続編が掲載されるも、未完のまま中断。もっとも『週刊ヤングジャンプ』2008年23号の後書において、「100万円を1日で使いきるとしたら?」という質問に対し「『太平天国演義』第4巻を自費出版する」と答えていることから、未練は持っているようである。
  • 2005年 - 『週刊ヤングジャンプ』において『LIAR GAME』が12号から17号まで集中連載。好評のため、同年41号から52号まで再び集中連載された。2006年26号より36号まで第3部を集中連載。2007年12号から連載を再開。テレビドラマ化された。
  • 2007年 - 『ビジネスジャンプ』12号より『霊能力者 小田霧響子の嘘』が月1回で連載開始。
  • 2008年 - 10月より日本テレビ系列にて『ONE OUTS』がアニメ化。それに伴い、『ビジネスジャンプ』で『ONE OUTS-疑惑のオールスター編-』を短期集中連載。

2010年代以降

人物

  • 大の競馬好きであり、『LIAR GAME』の登場人物の名前は実在の競馬関係者に由来するものが多い。
    • 元々は「漫画の登場人物の名前を覚えていくのが大変で、『ONE OUTS』のときはしばしば混乱してしまった」ことから、「顔とイメージが一致するジョッキーの名前を使う」ことでその問題をクリアしようと考えたことが契機だという[5]。
    • 当初はJRAの騎手の名前を使っていたが、最近は「いよいよ名前が足りなくなってきた」ため地方競馬の騎手や引退した騎手の名前を使うことが多いとのこと[5]。
    • ちなみに2007年のオークスでは、ちょうど『LIAR GAME』で秋山深一と福永ユウジが戦った直後で、1着に福永祐一騎乗のローブデコルテ、2着に秋山真一郎騎乗のベッラレイアが入った。甲斐谷の元にもファンから「おかげで当たりました」との声が届いた[5]。
  • 子供の頃に特に影響を受けた作品は鴨川つばめの『マカロニほうれん荘』である。
  • 絵柄は能條純一、上條淳士、望月玲子の影響を大きく受けている[6]。
  • 『ONE OUTS』や『LIAR GAME』など集中連載を行うことが少なくない。
  • 2000年頃から匿名で「漫画家Pの心象風景」というサイトを運営していたが、2001年頃に一旦閉鎖、2003年頃からは「太平天国演義マニアックス」という公式ページを開設したが、1年余りで更新が滞りがちになり、2005年末頃に完全に閉鎖された。
  • 大学の専門は電子工学であり、大学時代はパソコンゲームのプログラム作りにはまっていたため『LIAR GAME』のゲームを作るのは得意[7]。
  • 千葉ロッテマリーンズのファンである。

制作

連載時の生活
週刊連載を持っているときは、1週間のうち5日間を「ストーリー作り」に費やしており、近所のショッピングモールをぶらぶらと歩いてひたすら空想する。そして、残りの2日で漫画を描くことになるが、この2日間はずっと描き続けるため「本当にきつい」という[1]。
一方で、『ONE OUTS』第11巻の巻末マンガでは、1割を占める執筆作業よりも、9割を占めるアイデア出しのほうが「とんでもなくキツイ」という。執筆作業は時間をかければ必ず終わるが、アイデア出しは時間をかけてもサッパリ出ない場合もあり、締め切り間際のプレッシャーは半端ではない「地獄」だと語っている。
作品テーマの基準
漫画のテーマを決めるときの基準は、自分が描きたいからではなく、「読者が求めているかどうか」ということ。時代がどんな方向に向かっているのか、読者は何を知りたがっているのか、読者の心に引っかかる漫画になるよう探すという。
たとえば、詐欺師が主人公の『LIARGAME』は、読者アンケートで「詐欺師の漫画が読みたい」という声がとても多かったのがきっかけで描いた漫画だという[1]。

作品

単行本未掲載作品

  • 赤の他人(1999年4月発行『COMIC CUE』VOLUME SIX(イースト・プレス)掲載)
  • サンソウ〜禁断の占術〜3(『週刊ヤングジャンプ増刊 漫革』31掲載)
  • ハムラビコート(『イブニング』2017年6号・7号掲載)

アシスタント

外部リンク

脚注

  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 “鹿大ジャーナル 第180号” (PDF). 鹿児島大学広報委員会. pp. 16-17 (2009年3月). 2021年9月18日閲覧。
  2. ↑ 漫画『ONE OUTS』コミックス巻末漫画より
  3. ↑ 漫画『ONE OUTS』コミックス巻末漫画より
  4. ↑ 漫画『ONE OUTS』コミックス巻末漫画より
  5. 1 2 3 私の競馬、俺の競馬 / 甲斐谷忍・第1回 - JRA・2010年4月14日
  6. ↑ 「誰に影響を受けましたか?という質問をよく受けるのですが、絵的には能條純一先生、上條淳士先生、望月玲子先生です。あちこちで憶測で語られてるようですが、これが公式です。ストーリー的には数えきれないくらいいっぱいです」と、自身のTwitter(@mangakap)で2010年5月7日に発言している
  7. ↑ 『週刊ヤングジャンプ』2007年21・22合併号のインタビュー記事より