番場殿

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番場殿
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 不明
主君 豪姫
氏族 土岐氏
父母 土岐頼芸、六角定頼女
兄弟 頼栄(頼秀)、頼充(頼光)[1]、頼次(頼師)、頼忠、頼元、頼重、頼香[2]、朝倉義彰室、番場殿、山名善孝室
子 土肥久左衛門[3]
特記
事項
土肥氏室
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番場殿(ばんばどの)は、戦国時代の女性。美濃国守護、土岐頼芸の娘。紀州土岐氏頼忠流の祖、頼忠の同母妹である。

生涯

生没年不詳。土岐頼芸の次女として誕生。 斎藤道三による土岐氏美濃追放の後、同母兄頼忠と大坂に居住し、豊臣秀吉の養女豪姫の上臈となる。

系譜

脚注

注釈

  1. ↑ 『宗見本土岐家系譜』は頼充。「当屋形、土岐次郎。天文16(1547)年11月17日、家臣斎藤山城入道反逆之討死。生年二十四歳。」とある。また、『断家譜』は頼光。「次郎。天文16年(1547年)丁未11月17日病歿。年二十四。」とある。
  2. ↑ 『宗見本土岐家系譜』に「土岐八郎。天文23年(1554年)5月29日死。」、『断家譜』に「八郎。天文23年(1554年)5月29日歿、号松源寺。」とある。他系図には頼芸兄弟に八郎頼香とも見え、混乱も推測される。
  3. ↑ 『宗見本土岐家系譜』。後に建部氏より養子を得、土肥長次郎とする。長次郎は大坂城落城の5・6年後に死去。

出典

  1. ↑ 紀州頼忠流三代義虎(宗見)の書写本を文化元(1804)年に同じく七代光房(宗秀)が書写したと奥付のある旧和歌山藩士土岐家伝来の巻子本。系図は慶応3(1867)年まで記載があり、奥付は無いが、装丁からも明治期の書写と推測される。