盧徴
経歴
鄭州中牟県に家を構えた。若くして書籍を渉猟した。永泰年間、江淮転運使の劉晏に召し出されて従事となり、腹心の任を委ねられた。官を重ねて殿中侍御史に任じられた。劉晏が罪を得ると、盧徴は珍州司戸参軍に左遷された。興元年間、劉晏の門人の元琇が戸部侍郎・判度支となると、盧徴は京兆府司録参軍・度支員外郎に推薦された。元琇が罪を得ると、盧徴は連座して信州長史に左遷された。そのまま信州刺史に進んだ。入朝して右司郎中となり、まもなく給事中に転じた。戸部侍郎の竇参に信任され、代理をまかされた。貞元8年(792年)春、同州刺史の官が欠けると、竇参は尚書左丞の趙憬を補任するよう請願したが、特別に詔によって盧徴が同州刺史に任じられた[2][1]。貞元10年(794年)、華州刺史・潼関防禦・鎮国軍使に転じた[3]。盧徴は長安で任用されたいと、権貴と深く結託し、厚い贈物をおくった。貧しい任地で常数の進献を強いたため、人々は税賦の負担に苦しんだ[1]。盧徴は病に臥せったまま事務をみること数年[4]、貞元16年(800年)2月己酉に死去した[5]。享年は64[4]。
脚注
伝記資料
参考文献
- 『旧唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00319-2。
- 『新唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00320-6。